2-6 奈良、和歌山

 さて、龍野中生一行に戻る。彼らがゴダイゴの山に登った13年は、水戸学から幕末尊王論へと受け継がれた南朝正統論が、議会決議によって、改めて国家的に公認された時期に当たっていた。
 もちろん、皇国史観の国家的正当化については、南朝正統論の公認で事が大きく変わったわけではない。既に、教育勅語が出され、全国の学校では、天皇の写真が礼拝され君が代が歌われている。また、楠公楠木正成も、教育勅語起案者元田永孚の教科書「幼学綱要」から登場している。「忠犬ハチ公」はまだだが「忠臣楠公」は皇居外苑に既にある。ちなみに、明治天皇は広島大本営に、正成の遺刀を持って行ったという。それでも、南朝正統論の公認によって、ゴダイゴを裏切った足利尊氏は大逆賊で、ゴダイゴのために戦死を遂げた楠木正成は大忠臣、という構図がもはや動かせないものとなり、教育の現場で益々活用されてゆくことになる。
 ただ、修学旅行の最初の行程に、皇祖を祭る神宮とゴダイゴゆかりの山を組み込んだ学校の意図は明白だったが、この時代のエリート中学生たちは、まだそれほど洗脳されてはいない。学友会誌『龍雛』の「伊勢神宮参拝記」という作文を追っているのだが、伊勢参拝のくだりでも、もちろん優等生的な形通りの感想は記しているものの、格別感激したようには見えないし、皇祖天照を祭る内宮と農祖豊受を祭る外宮に応じた二つの建物をも見学しても、「徴古館を出で農業館を見学したが、何の興趣もなかった」と素っ気ない。ここ笠置山でも、「元弘の変」ということばがあるだけで、ゴダイゴについては名前も出さず感慨も記していない。もちろん、筆者である中学生の個人的資質もあるのであろう。彼は長じて、天皇制国家と対峙はしても、遂に天皇制にはイカれなかった。
 さて一行は再び汽車に乗り、夜奈良に着いて宿泊する。そして翌日奈良を見学するが、昼前には早くも法隆寺へ移動。そして再び2時前には天王寺へ向かう。強行軍はさらに続き、天王寺から今度は南海電車に乗って、和歌山へ行くことになる。今の感覚でいえば、修学旅行で伊勢、奈良と来れば、次は多分京都となって、間違っても和歌山にはならないだろう。しかし今、そのことには深入りしない。とにかく、どうでもよいいコジツケで誠に恐縮だが、こうして薄口醤油の播州から溜まり醤油の紀州への旅となったわけである。
 つまらぬコジツケから始めたお詫びに、コジツケについておまけをひとつ。「こじつけ」は「こじつけること」(『大辞泉』)というのは当たり前だが、では「こじつける」は? ネットの『語源由来辞典』では、「こじつける」は「故事付ける」で無理に故事に関連づけることだ、と説明されており、他にも「故実つける、古事つける」など同類の説明があるようだ。しかし、大きい辞典類は見ていないが、「こじつける」は、「こじあける」と同様に「こじる」由来とするのが自然であろう。そこで一句。 「こじつけ」を「故事付け」からとコジツケる お粗末。m(_ _)m