将軍はエライ

 時間があって小さい本屋を覗いたのですが、特に読みたい本もなく、『昭和の名将と愚将』(文春新書)という新書を買ってみました。半藤一利保阪正康という両大家による、いつものような対談ですが、中に、こういう箇所がありました。海軍良識派として一般評価が悪くない米内光政についてなのですが、ちょっと引用してみます。
 保阪 「海軍軍人というと「港、港に女あり」ではないですが、芸者の話が必ず出てきますよね。陸軍にも、沖縄玉砕の折りに司令部などに芸者らきし女性がいたなんて話はありますが、海軍ほどは芸者がらみの話が出てきませんね。」
 半藤 「おっしゃるとおり、佐世保にも呉にも、横須賀にも、軍港には必ず芸者屋があるんですよ。横須賀には小松という海軍御用達の有名な料亭がありますが、ここは、提督と下っ端で入り口が違うんですね。そうやって設備もしっかりしている。」
 保阪 「海軍の場合、宴会をやると芸者がセットになっていたようですね。」〜
 半藤 「米内は背が高くて美男子だったので実に芸者にモテたそうです。」〜
 保阪 「二・二六事件のときも、芸者のところにいたそうですね。」
 半藤 「当時は、横須賀鎮守府司令長官だったんですが、事件当夜、米内は、築地の芸者のところにいて、横須賀にはいなかったんですよ。」

 沖縄の地下司令部の話は二三読んだことがありますが、しかし陸軍が海軍ほどじゃない、ということは本当でしょうか。大家お二人の話ですので、一般的には、あるいはそうなのかもしれません。
 しかしここで思い出すのは、例えば竹中労の名著、『鞍馬天狗のおじさんは』(ちくま文庫です。ご存じの方には今さら紹介するまでもありませんが、いやこの本は抜群に面白くかつ貴重です。竹中労とアラカン嵐寛寿郎の共同作業とでもいうべきこの聞き書きは、生涯ルポライター竹中労のというより、ノンフィクション本の最高峰の一つに私は推します。おっとそれは今回の主旨ではなく、陸軍と芸者の話でした。
 内容が内容ですので、18禁用語が続出し、差別語も使われますが、敢えてそのままにして引用します。少し長くなりますが、ご寛恕ください。
 「おかしな話やけど、日本で役者やってるより、前線のほうがオメコと縁がおましたな。司令部のあるところ、煉瓦の塀がずうっとつづいてましてな。恤兵部の車でスッと入っていく、銃剣した兵隊が捧げ銃や。するとどんづきが何とお茶屋でんねん、タタミ敷きの日本座敷や。そこへ将校やらエライさんがきて、オメコしていく。
 ワテをはじめ座の幹部も招待される。ちゃんと日本髪を結うたんが出てきます。関東軍は大したものやね。芸者つきで戦争しとる。「おいこら寛寿郎、なにかうたえ」やて、ナニぬかしてけつかる。こちとらお国のゼニで買われた身体ですよってな、へいと言うてま。そやけどハラの中はカチカチ山です、肝が煮えくりかえっとる。兵隊に苦労させて、自分らは戦費を使うて芸者遊びですわ。こら戦争負けや、いやほんまにそう思うた。
 ケシカランそうは思いながら、あてがわれれば断りまへん。反省しながら芸者抱いとる、ああ良くないなあ、反省オメコや、ワテも大けな事いえまへん。そや寺内元帥ゆうのがいましたやろ、あの人の官舎に泊まった、たしか奉天です。そら大したフトンや、ずっとアンペラ(引用者注=兵舎で使われた草筵)やから寝つかれしまへん。ふっとわきを見ると、ちがい棚の上に手文庫がある。金蒔絵ですねん、誰もおらん、拝見をしました。これが何と春画なんダ、巻紙の浮世絵です。どんな重要書類かと思うたら、ポルノやおへんか。
 戦争こんなものか、”王道楽土”やらいうてエライさんは毎晩極楽、春画を眺めて長じゅばん着たのとオメコして、下っ端の兵隊は雪の進軍、氷の地獄ですわ。慰安所で朝鮮ピー抱いとる、現地の女たち強姦するのもおりますわな。その原因が、まさしくこれや。戦争あきまへん、”反戦主義”だワテは。」

 つけ足すことはありません。