入試カンニング失敗事件

 「カンニング」というのは和製英語だそうですね。隣の友人に教えてもらったなどを含めれば、私も含めて少なからぬ人の身に覚えがあると思いますが、大抵は可愛いものです。でも、試験の結果によって受験者の人生にもたらされる結果が大きければ大きいほど、カンニングの誘惑が高くなるのは当然で、例えば中国の官吏登用試験「科挙」では、想像を絶するような手段が使われたということを読んだ記憶があります。
 とはいえ、カンニングは何故いけないのでしょうか。もちろん不公正だからです。つまり、「全ての受験生が同条件で受験し同列に採点される」という試験の公正ルール、選抜試験なら「全ての受験生が同条件同列に受験し採点されて、その結果で公正に選抜される」という選抜の公正ルール、に違反するからです。
 しかしながら、実際の入試には、そんな公正ルールは、もともと守られているとはいえません。(裏口的なものは除いて、少なくとも内部で公認されたものに限っても)実に様々な、別枠選抜や特別加点方式などなどがあるからです。上記の定義では、それらは全て不公正ということになり、カンニングだけを不公正だと指弾するわけにはゆかなくなります。
 そこで、「全ての受験生が同条件同列で」ということをはずして、「出題・採点・選抜者の側が、それぞれの受験生に許容した方法や道具のみによって」とでもすればよいでしょうか。
 問題はその「方法や道具」なのですが、入試(筆記試験の場合)の試験場で受験生に使用が許される道具は、普通、筆記用具つまり記入する道具だけなので、解答をえるために使えるのは、自分の脳だけということになります(入試以外では、辞書や参考書やノートなどの持ち込み可という試験も少なくありませんが)。
 しかし、何かの知識や知見を求めたり論理展開や計算の結果をえたいとき、ただ自分の脳にだけ頼るというような、今はそんな時代ではありません。
 そういうことでいえば、今回の事件の彼または彼女は、今風の解答獲得リテラシーに秀でた人物だということになるでしょうか。しかし、それならもっとスマートに、見つからないようにやれたでしょう。というか、見つからずにやった人は既にいるかもしれません。
 世に多い盗撮マニアたちの涙ぐましいテクニックに学んで、例えば袖口からピンカメラで取った動画を内ポケットの送信機で近くの仲間に送る、という程度のことはしていたのかと思ったのですが、どうもハードは携帯で、ソフト的には知恵袋とは、余りにもオープンで幼稚すぎます。
 自分の脳だけで解答させる入試そのものが時代おくれになっているのをどうするか。本当に問われているのは、多分そのことでしょう。科挙カンニングが、科挙そのものの時代遅れを照らし出して、カンニングが根絶される以前に、科挙そのものが消滅していったように。