漱石 1911年の頃 17:戦争と併合2

 前回のは、ちょっと失敗ですね。「戦争と併合」という括りにしたのを忘れて、後半「ism」の話に行ってしまいました。横道すぎますので、カットして後にまわします。
 ということで、前回の前半に戻ります。開戦時には世間の好戦気分に乗っていた漱石も、大量の戦死者と戦後不況で人々の気分がかわると、登場人物に「いったい戦争はなんのためにするものだかわからない。〜こんなばかげたものはない」、「いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね」、日本は「滅びるね」、といわせます。この時点で漱石は、「大日本帝国」の日露戦争への道は、滅びへの道だったと思い知り、孤塁非戦を主張して刑死した幸徳らの志を深く受け止めて、和歌山講演で、滅びに向かう「現代日本の開化」に真っ向対峙する姿勢を鮮明にした。と、まあそういうことになるのでしょうか。
 ちょっと道草のようですが、13年の師走に、漱石は一高で「模倣と独立」という題の講演をしています。それほど大したことをいっているわけではありませんが(などというとまた叱られますが(^o^))、大体こんなことです。
 「人の真似をするというのは、いわば人間の本能です。しかし人間は、それと同時に、独立自尊、インデペンデントという傾向をもっています。イミテーションとインデペンデント、人間にはこの二通りの人がいる、あるいは、人はみなこの両面をもっているのです。イミテーションは、人と同じこと、これまでと同じことをするのですから楽ですが、人とは違うオリジナルなことをしようとすれば、強い風当たりに直面します。しかし、歴史を切り開くようなオリジナルな仕事をした人は、断固インデペンデントに自分の道を進んできました。われわれ日本人は、昔は大陸の真似ばかり、今は西洋の真似ばかりですが、日本の現状から見ると、インデペンデントの方に重きを置いて、覚悟して進んで行くべき時期に来ています。これからは、本式のオリヂナル、本式のインデペンデントで進むべきだと思います」。
 こう紹介してみると、特に変わったことをいっているわけではありませんが、なかなか立派なというか、いいことをいっていますね。漱石によれば、人はイミテーションとインデペンデントの両面を持っているのですが、漱石がいいたいことは、「今の日本の状況から言えば」、イミテーションではなく、オリジナル、インデペンデントでゆくべきだ、ということになります。
 ちょっとエピソードを挿みますが、この講演で、「私の所の小さい子供なども非常に人の真似をする。一歳違いの男の〜兄貴が何か呉れろといえば弟も何か呉れろという。兄が要らないといえば弟も要らないという。それは実にひどいものです」、といっています。実際にこんなこともあったようです。ある日漱石は、小さい兄弟を連れて、今でいえばゲームセンターのような所へ行ったのですね。ところが、兄が「このゲームする」というと弟も「ぼくもする」といい、兄が「恥ずかしいからやめる」というとまたマネをして「ぼくもやめる」とかいったので、漱石の怒りが爆発。突然弟を殴り倒して、大泣きするその頭を下駄で踏みつけたとのこと。全く大変な暴力親で、「実にひどいものです」というのは漱石自身の方ですが、ここでは漱石のDVを問題にしようというのではありません。とにかくしかし、「今の日本の状況から言えば」イミテーションはダメだ、オリジナル、インデペンデントでゆくべきだ、という漱石の信念は、幼い我が子を踏みつけるほど強かったようです。
 しかしそれでは、この時点で漱石は、「今の日本の状況」をどう見ていたのでしょうか。
 何度も取り上げて恐縮ですが、以前、08年の広田先生は、「西洋の夫婦をちょいと見て」、「ああ美しい」と小声でいいます。「どうも西洋人は美しいですね」、それに引き替え、日本人である「お互いは哀れだなあ」、と。それから、「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね」、というわけです。何がダメといって、オリジナルなものは何もない。富士山よりほかに「自慢するものは何もない」。
 広田先生は作中人物で、漱石自身ではありませんが、ともかく、それから5年後の今、13年にはどうかというと、講演での漱石は、「日本はダメですね」風とは正反対で、むしろ「今の日本の状況」に自信をもっています。聴衆の一高生に「あなた方を奨励するためにこういうことを言っているのである」と付け足していますので、自信を持たそうとしています、という方がいいかもしれませんが。ともかく、こういうのです。(これまでは難読漢字やルビ付き漢字もルビなしのままにして来ましたが、読みやすいように、以下は適宜かなにします。)
 「日本人は〜(日本人の書いた文芸作品などは)西洋のものと殆ど比較にならぬというが、それは嘘です。〜決して悪いものじゃありません。西洋のものに比べてちっとも驚くに足らぬ。唯タテに読むと横に読むだけの違いである。横に読むと大変巧いように見えるというのは誤解であります。自分でそれほどのオリヂナリテーを持っていながら、自分のオリヂナリテーを知らずに、あくまでもどうも西洋は偉い偉いと言わなくても、もう少しインデペンデントになって、西洋をやっつけるまでには行かないまでも、少しはイミテーションをそうしないようにしたい。芸術上ばかりではない。私は文芸に関係が深いからとかく文芸の方から例を引くが、その他においても決して追っつかないものはない。〜あなた方も大学をおやりになって、そうしてますますインデペンデントにおやりになって、新しい方の、本当の新しい人にならなければいけない。」
 文芸ではすでにインデペンデントになっている。オリジナリテーを充分もっている。他の分野でも、気が付いていないだけでオリジナリテーがある。少なくとも、「決して追っつかないものはない」。
 そうすると、漱石が、「日本はダメですね、オリジナルなものは何もない。これじゃ滅びるね」、と広田先生にいわせたことは、どう見ればよいのでしょうか。あれは単なる作中人物の言葉過ぎず、当時から漱石は、日本はダメとも滅びるとも思っていなかったのでしょうか。それとも、自らの大患や大逆事件を挿んだ5年間の間に、「今の日本の状況」に対する見方が、ほとんど180度近くも変わったということなのでしょうか。あるいはまた、そのどちらでもないのでしょうか。(続く)