漱石 1911年の頃 18:戦争と併合3

 前回最後の問題はしばらくおきますが、ともかく13年の講演で漱石は、自信をもて、といったのでした。今や様々な分野で、「本式のオリヂナル、本式のインデペンデントになるべき時期」が来ている。例えば日本の文芸などは、もはや充分オリジナリテーをもっている、と。まことに堂々の論ですが、実は文芸の例より前に賞賛されている事例があるのです。
 日露戦争というものは甚だオリヂナルなものであります。インデペンデントなものであります。〜(確かに)沢山金は取れなかった。けれどもとにかく軍人がインデペンデントであるということはあれで証拠立てられている。〜日本はややもすれば恐露病に罹ったり、支那のような国までも恐れているけれども、私は軽蔑している。そんなに恐しいものではないと思っている。
 「恐露病に罹ったり、支那のような国までも恐れている」人を「軽蔑している」のであって、「支那のような国」を「軽蔑している」というのではまさかないでしょうね?(・_・;)。ともかくここには、日露戦争と日本軍をリスペクトする作家はいても、「いったい戦争はなんのためにするものだかわからない。〜こんなばかげたものはない」という老人や、「いくら日露戦争に勝って〜もだめですね」、日本は「滅びるね」という先生は、もはやいません。
 ちなみに、この部分とほとんど同じことを、漱石は、日記か断片にも書いています。イミテーションが悪いというのではない。しかし、「本式にオリジナルなインデペンデントの時期は来るべきものである。日露戦争はオリジナルである、軍人はあれでインデペンデントなることを証拠だてた」。
 ここはひとつ、司馬遼太郎氏に言い直してもらいましょう。「大文明をのせた広い大陸のすぐそばにくっついた、まことに小さな国ですからね。イミテーションがいけないなどとはいえません。大体この国の歴史において、大陸のイミテーションではないものなど、どだいありはしないでしょう。けれども、いつかやはり、オリジナルなインデペンデントの時期というのは来るのでしてね。あの時代が、まさにそうでした。インデペンデントに向かって進むべき時期だったのですね。日露戦争というのは、まことにオリジナルな戦争です。わが国の軍人は、あれでインデペンデントであることを証拠だてました。ただまあ、少し長い眼でみると、あれで自信を持ちすぎたということもありましょうなあ。」
 『坂の上の雲』という小説は、申し訳ないことながら文庫本1冊目の途中で挫折してしまいましたので、詳しいことは知りませんが、噂によれば司馬史観では、日露戦争までは懸命に自存自衛を目指す健気な歴史だったということになるようですね。ついでにいえば、昭和の統帥権独立からは逆に自存自衛を看板に掲げた悪ガキの歴史、と見ておられるようで、だとすれば一番読みたいのは、あるところまで健気な少年がどのようにして乱暴なワルガキになるのかということですが、自他共に許す「国民作家」ですから、力を入れて作品にされたのは、健気な少年のところまでで、あとは、悪ガキになって実に困りものでしたなあ、などといっておられるだけのようです。
 ということで漱石に戻ります。「日露戦争というものは甚だオリヂナルなものであり」「軍人はあれでインデペンデントなることを証拠だてた」。大国ロシアに勝ったからには、もはや「恐露病」も克服できた、「支那のような国までも恐れている」ことはない。イギリスとは同盟国だし、アメリカとも協定を結んだし。もう「西洋は偉い偉いと言わなくても」よろしい。もはや怖いものはない。
 抜けていることがあります。
 いまさら中学校レベルの歴史をいうのも何ですが、わが「大日本帝国」は、すでに「健気」な時期の早くから、「征韓」を論争し、琉球を処分し、台湾を獲り、そして半島に鉄砲を構えて土足で歩み入り、清を追い出し、反日派を潰し、ロシアをその先の大陸はるかにまで排除し、英米に支配権を認めさせ、国際的な訴えを潰し、外交権を奪い、統監府を設置し、内政権を握り、軍隊を解散させ、と、着々とオリジナルな手を打って、遂に10年の併合に至ります。
 「日本はダメだね、滅びるね」から、「軍人はインデペンデントなることを証拠だてた」、もう「恐れることはない」へ。実に日本のインデペンデントは、韓国のインデペンデントの抹消を跨ぎ越すことで実現したのでした。「現代日本の開化」に対峙し、一貫して「日本近代知識人の苦悩」を書いたと評される漱石が、全く書かなかったのは、いやおそらく気も付かなかったので書きようがなかったのは、次のような文字でした。
 「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く」。(続く)