漱石 1911年の頃 29:何かと何か2

 さて、話に戻ります。
 長野講演と関西講演の演題を、改めて全部並べて見ましょう。
  6月18日 教育文芸 長野
  8月13日 道楽職業 明石
  8月15日 現代日本の開化 和歌山
  8月17日 中身形式 堺
  8月18日 文芸道徳 大阪
 すぐ気が付くように、和歌山以外の講演の演題は、全て「 〜 〜 」という形になっています。裏返せば、和歌山だけが、異質の表題になっているのですね。(このことに鑑み、実はこの駄文にも、最初からずっと、無理をしながらも(^o^)「 〜と〜 」という見出しを付けてきたのでした。)
 そこで、長野も含めて、「〜と〜」講演で漱石はどんな話をしているか。それを確認してみますが、それだけでは面白くありませんので、「200字以内にまとめよ」という課題を出された頭の固い高校生が(^o^)、全て1文字も過不足無く無理に200字に縮めた、ということにしてみましょう。字数にこだわりすぎて減点され、合格点が取れないかもしれませんが(^o^)。(なお、全くどうでもいいことですが、ブラウザ上では、行末禁則処理により、1文字出入りがあるように見えるかもしれません)
 先ず、関西講演に先立つ長野と、最後の大阪講演です。
  教育と文芸 11年6月18日、長野
 昔の教育は、理想に向けての努力を強いるものだったが、科学時代の今は、自分の短所欠点も含め、全て事実から出発する教育になっている。文芸もまた、崇高な理想を描いて感動させるロマン主義から、ありのままの事実を描写する自然主義へと変化しているが、ただ日本の自然主義は、事実を描写する余り卑しい文学になっている。教育でも文芸でも、事実に出発しつつも、人間の理想を求める本性を忘れない、調和した立場が求められる。
  文芸と道徳 11年8月18日、大阪
 昔の道徳は模範に向かって努力するものだったが、今日では人間は不完全ものと認められ、道徳も個人本位になっている。人物の偉大さで感動させる浪漫主義の文学と、ありのままを描く正直さで感化を与える自然主義の文学も、そこに対応している。事実を尊重する科学の時代には理想が低くなり、自然主義の傾向となるが、道徳面では自己本位で放縦になりかねない。今後は、実現できる程度の理想を懐きつつ、寛容に進む心掛が望ましい。
 前回にも触れたように、漱石は、「先達やつた「文芸と教育」という奴を、どこかで繰り返しても宜しきや」と書いていました。講演先の違いで長野の「教育」が大阪では「道徳」に変わってはいますが、基本的に同じ内容の「繰り返し」です。
 次に堺講演ですが、
  中身と形式 11年8月17日、堺
 簡単な原理で考えるのが仕事である科学や哲学は別として、物事を何でも簡単な形式に纏め、そこから全てを割出そうとするのは大変な無理がある。特に昨今では、我々の内面生活が大きく変化しつつあり、従来の形式とズレてきて、個人主義自然派の小説が登場している。形式あっての中身ではなく中身あっての形式である。従来の形式を据え置いて押しつけるのではなく、現在の社会状況に合う形式を新たに求めて行かなければならない。
 こちらは全くの「繰り返し」ではありませんが、角度を変えたいい方をしているだけで、内容的には似ています。
 それに対して、同じ「と」演題の中でも、明石は少し異色です。
  道楽と職業 8月13日、明石
 今の複雑な社会では、人はそれぞれ、互いに他人のためになる仕事をして生活している。その意味で、職業は他人本位のものであって、人は職業人として己を曲げて他人に従わなくてはならない。ただどうしても他人本位では成立たない仕事がある。科学者哲学者もしくは芸術家などの仕事は、いわば職業ではなく道楽であって、全然妥協を許さない、自己本位のものである。芸術家などに他人本位を強いるのは、彼らを殺すようなものである。
 ということで、以上、和歌山講演以外の「〜と〜」4講演の200字要約を並べてみました。内容的には関連した、ひとまとまりの講演と見ることができます。「自己本位」「他人本位」ということばを軸に、少し書き直してみると、次のようになるでしょうか。
 いま、文学は何を書くべきか・・・理想の形式が人を支配し、私心なき努力が求められた他人本位の時代から、万事事実から出発する科学の時代、人間もまた形から解放されて誰もが個人として事実のままに生きられる自己本位の時代になっている。それに応じて文芸でも、事実を正直に描こうという自然主義が隆盛なのはある意味当然のことだ。しかし日本の自然主義のように、勝手な自己本位の生き方をただ描くだけでは卑しいものに終わる。自己の理想を求めることはむしろ人間の本質的な事実であって、そういった人間の真実を描く、新しい文芸形式が求められている。
 文学者はどう生きるべきか・・・今の時代には社会的分業が進み、人は嫌でも他人本位の仕事を職業にして食べてゆかねばならなず、自己本位の心を満たせるのは道楽だけである。ただ、「どうしても他人本位では成立たない」仕事がある。科学者哲学者や芸術家は、自己本位が命であって、芸術家に他人本位を強いて自由を奪えば、芸術は死ぬ。だが、自己本位の仕事は道楽であって、生活の糧を稼げる職業ではない。私の場合は、幸い新聞社を介して道楽仕事が読者諸君の気に入られ、報酬を得ているが、それはあくまで偶然であって、そのような偶然がないままに自己本位を貫こうとすれば餓死するよりほかに仕方がない。それでも、作家たる者、「己を枉げるよりは餓死を選ぶ覚悟」でなければならない。
 いま、文学は何を書くべきか・・・文学者はどう生きるべきか・・・。ツッコミ所がなくはありませんが、先ず堂々の論じゃないでしょうか。何度もいいますが、私は漱石の研究者ではないので、この時期の漱石の文学観や作家観がどういったものだったかは知りませんが、多分、当たらずとも遠からずではあるでしょう。
 そして、少なくともこのような「文学と文学者」を巡るテーマは、後の評論家諸氏にとってともかく、<当時の漱石にとって>は、さして「重要」なテーマではなかった、とはいえないでしょう。
 と、以上のことを踏まえて、さて、問題の和歌山講演を見てみましょう。(続く)