下町はえらい1

 ちょっと番外を入れさせて頂きます。
 おかしなタイトルで、三題噺というか三段跳というか、相変わらず勝手な雑文で恐縮ですが。
 以前は養老孟司というお名前を多く目にしましたが、最近、というかかなり前からですが、内田樹という方のお名前をよく見かけます。最初に知ったのは『ためらいの倫理学』という本で、かなり評判になっていると聞いて、私も遅ればせながら、文庫になってから買ってみました。で、結構面白く読み始めたのですが、だんだんスピードがにぶり、結局途中下車してしまいました。もっとも、私には大抵の本を最後まで読まないという悪癖がありますので、内田氏のせいだけではありません。その後、ある論集に納められていた一編を、これは短いので終わりまで読み、他には、新聞などでコラムを二つ三つ読んだでしょうか。先日読んだものは結構面白かった記憶がありますが、以上が全てです。だから私には、内田という方について何かをいう資格は、全くありません。
 ところがある時、何かのことで、「それでは内田氏と同じではないか」といわれたことがあります。どうやら批判的にいわれたらしいので、そんなことをいわれる筋合いはない、といったものの、大体「そんなこと」とはどんなことなのかが分からないのですから埒が明きません。とはいえ、今更また読み直す元気もなく、困ったものです。
 と、こんな前置きで、余計ややこしくなりましたが、ともかく始めます。
(1) 
 引退宣言で驚かせた宮崎監督の「風立ちぬ」が、近所のシネコンにもかかっています。多分、まだやっているでしょう。かなり評価の巾があるようですが、見方によってはまあまあのようなので、最終の上映週にでも観ようかと思っています。
 観ていないのに何ですが、その宮崎駿氏と半藤一利氏の『腰ぬけ愛国談義』(文春ジブリ文庫)というのを本屋で見つけ、買ってみました。内田氏のような固いというか真面目な?本とは違って、お元気な両ご老体の気楽な対談です。もちろん「風立ちぬ」の関連本ですが、三題噺の最初は、映画とは関係ない部分です。あちこちのページからかいつまんだ引用で恐縮ですが。
 半藤: つくづく思うのですが、この国は守れない国なんです。〜なにしろ海岸線が長い。〜しかも〜、国民のほとんどが海岸沿いの平地に暮らしている。〜要するに防御はできない。ならばこそ、この国を守るためには攻撃だ、ということになったんですね。〜ところが攻撃こそ最大の防御という考え方は、「自衛」という名の侵略主義に結びつくんですよ。〜近代日本は〜「攻撃こそ最大の防御」で外へ外へと出て行った。軍人さんだろうが、インテリだろうが、日本の行く道は侵略主義に通じていると、これまただれもがほんとうは気づいたはずなんです。ところが侵略とは思いたくないから「自衛である」という体裁をつくってそう思い込もうとした。〜そして戦争に負けてからこっち、何十年ものあいだにこの長い海岸線に沿って原発をどんどんおっ建てた。
 宮崎: なにしろ福島第一原発ふくめ五十四基もあるんですから、もうどうにもなりません。 
 半藤: そのうちのどこかに一発か二発攻撃されるだけで放射能でおしまいなんです、この国は。いまだって武力による国防なんてどだい無理なんです。 
 宮崎: 膨張する中国を横に見て、その大陸とこの原発だらけの列島をどう共存させるのかという戦略的な視点が必要なのに、ちっぽけな岩礁一つを巡って、チョッカイを出し合っている様子というのは、まことにバカげていますね。  〜
 半藤: 〜尖閣の問題、あれを棚上げしたほうがいいという意見があります。私もそう思うんですけどね。〜私は最近思ってるんです。もう三〇年もたてば、世界には国境がなくなるのじゃないかと。  〜
 宮崎: ぼくは、尖閣には避難港を作って、中国も日本も台湾の漁船もみんなそこに入ることができるのがいいなあと思っています。〜ややこしいから、もうそっとして、みんなで使おうという。
 半藤: 人類はそのくらい深い懐を持ったほうがいいです。 〜
 さすがのご両人、少し楽観的かとは思いますが、この対談の立ち位置というか雰囲気は、感じて頂けたと思います。 最近はやたら強腰の人が多くなっていますが、お二人は、「日本は脇役でいいんです。小国主義でいいんです。」「情けないほうが、勇ましくないほうがいいと思います。」ということで、「「腰抜けの愛国論だってあるのだッ」と声だけはちょと大きくして言い返すのですがね(笑)。へっぴり腰で。」「ええ、ほんとにそう思います。いいですね、腰抜けの愛国論か・・・。」、と、本のタイトルもできたようです。(続く)