強権国家を求めて

 昨日は13日の金曜日。ナンバー2が即刻処刑されたというニュースが駆けめぐりました。「国家」に反逆したということだけであとは秘密のヴェールの中ですが、こちらでは、ナンバー2がもはや羊の皮さえ脱ぎ捨て、「国家」は国民を秘密の内に支配する権利があると息巻いています。国家の名の下に独裁政権が国民を支配する「強権国家」。今日の新聞見出しには、秘密裁判で処刑する「恐怖政治」とか「独裁国家」とかいう文字が踊っていますが、こちらは、これからそうしてゆこうということなのでしょう。
 「昭和史」の老大家お二人に、もう生きていたくない、もう一度あんな時代を見たくない、といわれるせるような状況ですが、「昭和史」も教える通り、問題は、政府や与党だけにあるのではありません。成立後の調査でも、治安維持のための特定秘密保護法は廃棄か修正すべきだという意見が多数だそうですが、それでも、内閣支持率は、急落してなお、不支持より支持が多いとのこと。みなさん、秘密保護法への不安より、原発推進への不安より、アベを取り換えると景気幻想が消えないかという「不安」の方が大きいのでしょう。
 けれども、経済的理由だけでは多分ありません。
 大谷昭宏氏は、法案に賛成した議員は「バカだ」と書いています。議員でも、官僚が秘密のうちに秘密だと決めたブラックボックスに触れると、突然逮捕されることがある。そんな法律を作ってしまうのだからバカとしかいいようがない、と。小沢と共に「官僚支配打破」への芽を潰した官僚は、世論や公聴会などゴミ扱いは当然のこと、いまや国会をも掌握し、議会は「議する会」とは名ばかりで、「決定」するだけの場になり下がっています。与党の議員たちさえ、大半は、「官邸主導」の名の下に、党内議論もろくにしないまま、「官」が思い通りに作り「官」邸が決めた法案に、とにかく賛成票を投じる仕事に狩り出されるだけです。
 それでも、繰り返しますが、みなさん、政府を換えようと思わない人の方が多い。
 思えば、忘年会の会場をどこにするかというようなことでさえ、「議」にはかれば、すぐには決まらないのですから、ましてや大きな政治問題などは、簡単には決まるわけがないのが当たり前です。それでも、いやだからこそ、簡単には決められないことは簡単には決めずに、厄介でも議論する、というのが「民主主義」なるものでしょう。
 ところがみなさんは、マスコミもあげて、「ねじれ」は悪い、「決められない政治」が悪いと声をそろえたのでした。裏返せば、何事もどしどし「決める政治」が良い、と。
 こうして、内には「特定秘密」を盾に、何事も独裁的に決めて「ぶれない」強権国家。外には周辺の国にケンカを売って「負けない」強大国家。しかし、国家さえ「強権大国」になれば、引き換えに主権を縛られても、むしろ、支配され護られ導かれる羊国民でいるのが心地よい・・・のでしょう。
 それでもなお、「絶望が虚妄であるのはまさに希望と同じ」、という魯迅のことばを思い出すべきなのでしょうけれど。