ふるアメリカにずぶぬれに

 アメリカという国は、とにかく戦争をしていないと経済が持たないらしく、あちこちで破壊や殺人をしまくってきましたので、どうしても、アメリカを怨んでいる「敵」が、世界中にいっぱいいるのではないかと、大変不安なのでしょう。空港では物すごく厳重な身体検査をしなければなりません。
 しかし、それだけでは安心できません。貧富の格差が無茶大きいので、どうしても不満がたまり、しかも銃社会ですから、「敵」は国内にもそこら中にいるのではないかと疑心暗鬼。特に黒人などは、警官に少しでも怪しいと思われると、たちまち銃で撃ち殺されてしまうようですから大変です。
 大変といえば、公的な健康保険のないアメリカでは、富裕層でなければ、病気になると自己破産したり、若い人なら軍隊に入ったりしなければならないそうで、気の毒なことです。それなのに、公的な健康保険制度には反対が多くて、ご承知のようにオバマ氏も苦労しています。それで先日、アメリカに住んでいる知人に、「どうして反対が多いのですかねえ」と聞いてみたところ、「そんな政策は社会主義だというのですよ」、とのことでした。確かに、長年、「エネミイ・オブ・アメリカ(アメリカの敵)」は、「社会主義」でしたからね。意識に染みついているのでしょう。
 けれども、実は「社会主義」より、もっと息の長い「敵」があります。だいたい、ドイツや日本と戦争していた頃は、「社会主義」の国は、一応「味方」だったのですから。で、その時代には、「敵はファシズムだ、ファシズムは「全体主義」だ」、といわれていました。ところが、その戦争が終わると、こんどは、「敵は社会主義だ、社会主義は「全体主義」だ」、といわれるようになります。つまり、相手が替わっても、「アメリカの敵」に貼られてきた、最も息の長いレッテルは、「全体主義」なわけです。
 だから、もちろんアメリカ自身は、「全体主義ではない国」だということになりますね。少なくとも、アメリカの人たちは、自分たちの国は「全体主義の正反対の国」だ、と自ら強く思っていて、だからこそ、時代が替わっても相手が替わっても、「全体主義」を仇のように敵視し続けるのでしょう。
 さて、日本には、とにかくアメリカに憧れを抱く人が多いですが、最近では、あの国の庶民の実状もかなり知られて来ましたので、あんな国に住みたいと思っている人が多いかどうかは微妙なところでしょう。また、最近では、アメリカ以上に中国市場などの重要性が大きくなってきていますので、他の国とは貿易しなくてもアメリカさえ買ってくれれば経済は万々歳、という企業家ばかりでは多分ないでしょう。
 しかし、軍事力についてははっきりしています。軍事力では、とにかくアメリカが世界一。ということで、あの国と組みたい。そう思っている人が多いことは間違いないでしょう。少なくとも圧倒的に多くの人が、アメリカと組んで軍事強国を目指すことを党是とする党に、票を入れたのでした。「自衛隊を名目上も軍隊にし、軍備も増強して、軍事強国を目指す。そして、憲法を変えて大ぴらに戦争ができるようにして、アメリカが「敵」と戦うときは、世界中どこにでも出兵して、アメリカの同盟国として戦う国にしたい。そうすればアメリカは、同盟国、戦友の国を護ってくれるだろう」、というのでしょう。
 けれども、アメリカと組んで、味方になってもらうということは、「アメリカの敵」である「全体主義」を、共通の「敵」とすることです。もちろん、実際にはアメリカも、主義とか理念とかだけでお節介の戦争を仕掛けたりするのではなく、例えば石油狙いだったりするわけで、国際社会といえども、まあ世の中そんなものです。それでも、建前というか旗印は、「全体主義」という敵と戦うために、「反全体主義」の国アメリカが出兵するのだ、ということになります。「まあ貧富の格差をはじめいろいろ問題はあるが、われわれアメリカは、とにかく「全体主義」の正反対だ。それは間違いない、国民全体がひとつの保険に入ること拒否する位、われわれは「全体」が嫌いなのだ」、ということなのでしょう。
 となれば、いずれ憲法も変えて、我が国を、アメリカと一緒になって戦争できる国してゆくということは、わが国を、アメリカと同じく「全体主義」を敵とする、「反全体主義」の国にしてゆく、ということに他なりません。
 それは政府だけの仕事ではありません。これからは、われわれ一人一人が、とにかく「全体主義に反対する」という気持ちをつちかっててゆかねばなりません。政府が最近いっている「国を愛する」気持ちを育てるとは、そのことでしょうか。
 そこで私も、そのための第一歩として、そもそも「全体主義」とは何で、「反全体主義」とは何なのか、ということを、改めて確認してみました。 
 「全体主義」を辞書でひくと、広辞苑には、「個人に対する全体(国家・民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想および体制」とあります。少し冗舌ですが、他にも、「個人の自由や権利より国家全体の利益が優先するという思想、またその体制」(明鏡国語辞典)、「すべてのものを国家の統制下に置こうとする主義」(デジタル大辞泉)といった説明もあり、それらを総合して最も簡単にいってしまうと、「全体主義」とは「個人より国家を優先させる主義」であり、「全体主義国」とは「個人より国家を優先させる国」である、となります。
 だから、その逆の「反全体主義国」は、「国家より個人を優先させる国」ですね。
 アベ政府は、これからの日本を、アメリカと共に戦争する国にしようとしています。すなわち、共通の敵である「個人より国家を優先させる国」と戦う国です。そのためには、何より、自国を、「国家より個人を優先させる国」、「国家の利益より個人の自由や権利を優先する国」にしてゆかなければなりません。アベ政権は、そう考えているでしょう。「これからの日本を、国家より個人の自由や権利を優先する国にしてゆきましょう。国家より大事なものは、個人の自由や権利です。国家が、政府が、個人の自由や権利を制限したりすることがあっては絶対にいけません。辞書をひけば分かりますが、それは全体主義です。だからみなさん、政府が、個人の自由や権利を侵すことのないよう、この度、国民ひとりひとりが、政府を監視できる仕組みを作りました」。ん?ん??違ったかな?????
 (今日は別のことを書く予定だったのですが、おかしなことになってしまいましたので、ひと先ずここで)