ベルクソン メモ3

 というわけで「大きい」あるいは「大きさ」である。
 前引用に続く部分は、こうなっている。
 「ある数が他の数より大きいとか、ある物体が他の物体より大きい」というのは問題ない。「なぜなら、この二つの場合には、〜問題になっているのは等しくない二つの空間だからであり、〜他の空間を含む空間は<より大きな空間>であるという言い方を私たちはするのである。」
 え?「数」が「空間」? と、誰もが思うだろう。が、「数」あるいは「数える」ということについては、後に取り上げあられるらしいことが目次でも分かるので、保留しておく。
 それにしても、この辺りの論述はかなり粗雑な手品である。しかし、ベルクソンの意図は、ここで何かを論証することではなく、読者の気分をある方向に誘導してゆくことなので、これでよいのだろう。意図あるいは手品の種は、見え見えである。
 一、「大きな痛み」などといってはいけない。「大きい」とは、本来、「空間的に大きい」という意味である。なるほど、「この建物は大きい」が原義で、「痛みが大きい」は派生義なのだろうと思えてくる。というかそう思うように誘導される。ただし、建物の「大きさ」は体積、容積であって、それが三乗として現れるという意味で、いわば空間量の基礎といえるのはむしろ「長さ」だろう。だが、長さは普通「大きさ」とはいわず、一方、「大きな可能性」「大きな価値」といい、さらに「大君」や「大叔父」などもある。もしかすると物体容積の「大きさ」のさらに背後に、もっと素朴な原義があるのかもしれない。だが、そういったことはどうでもよいのである。とにかく、「大きい」は三次元的に「拡がりのある」「空間」の専属用語にしておきたい。「空間」を「意識」の世界に持ち込むことを拒否したい。
 なおまた、上に見たように、「数」も「空間」として扱うのだが、その「数」について、すぐ後で、「自然数の系列」といっている。しかしここでも、「空間」に対応するのは「実数」あろう、などといっても無駄である。おそらくここで既に、「数える」が想定されている。(ちょっと今日は眠いので、これで終わって→続く)