消えた「移民」3

 時代劇チャンネルというのに江戸時代だけかとか、寿司屋というのに握り寿司だけかとか、そんなことに怒ってもしようがありません、というかバカでしょう。例えばフランスでは、「移民と植民といえばまたフランスとアルジェリアの話か」とうんざりする人が多いのかどうなのか。それは全く知りませんが、少なくともこちらでは、例えば旅先でその町ゆかりの「移民記念館」とか「移民史料展」とかがあったので入ってみたり、ホテルでたまたま「町民シリーズ、移民の先駆者」などというローカル番組を見たりして、「なんだ、太平洋を渡った日系人の話ばかりじゃないか」と怒ったりする人はいないでしょう。もともと「移民物語」には、アジアとの関係が当然のように消えているようで、一番始めにも書きましたが、これが一番大きい消失物件かもしれません。
 そういえば、ちょっと横道ながら、「こんなところで活躍する日本人」といった類の番組だったと思いますが、太平洋を渡った国に日本人学校を建て、日系人に日本語を教えている方の紹介番組を見たこともありますが、本当に頭が下がる熱心な方でした。こちらでいえば、朝鮮人学校で朝鮮語を熱心に教えている方とパターンが同じですが、そういう紹介番組は、少なくともこのご時世では難しいでしょう。
 話を戻します。第二次大戦の時期、ブラジルは連合国側について国交が切れ、日系人は複雑な立場に置かれますが、戦後、国交が回復すると、移民も再開されます。もちろん敗戦で焦土となった列島に、「生計の途益々壅塞」な人々が溢れたからですが、そこには、戻ったはいいが帰り先のない「引き揚げ者」などもいたでしょう。実際、戦後の「ブラジル移民」の中には、少なからぬ「満州移民」がいたようです。 ということで、太平洋を渡った「ブラジル移民」の歴史は、大陸へ渡った「満州移民」の歴史と、決して無縁ではありません。
 より大きくいえば、ハワイにカナダにアメリカにブラジルなどに「海外雄飛」した人々の歴史と、台湾に朝鮮半島に大陸に、また冒険ダン吉のように南の島に「海外雄飛」した人々の歴史の関係も、無縁なものではないでしょう。
 それでも、榎本風にいえば、「定住移民」と「定約移民」は違う、「植民」と「移民」は違う、ということなのでしょうか。
 もちろん、違っているのでしょう。いや、今になっては逆に、違っていない全く同じだ「海外雄飛」だ「開拓」だ「開発」だ台湾でも朝鮮でも満州でも「近代化」に貢献したのだ、どこにやましい所があるか、などと開きなおる輩もいないとは限りませんから、いや違っています。全く違います。榎本のいうように、太平洋を渡った「移民」は、アジアでの「侵略的植民」とは違います。
 というわけで、違うのであって、だから、たまたま見た「移民回顧」の番組や展示会の内容が、屈託なく日系人の苦労と成功に感動し、架け橋に期待するようなコンセプトであったとしても、そのことに対しては、文句などいわず、むしろ一緒くたにしなかった見識に敬意を表すべきなのでしょう(もしそこに問題意識と見識があってのことならば)。「ブラジル移民」だけで「満州移民」はないのか、などというのは、にぎり寿司だけで箱寿司はないのかというような、野暮な、もしかすると危険な、発言でした。
 そういえば、最後にもうひとつ。ブラジル移民の歴史には、往々にして消されいるか乏しい照明しか当てられない時期があります。それは戦前移住と戦後移住の間の時期で、共に苦労し助け合って現在の地位を獲得した「苦労成功」物語には、その時期の勝ち組負け組抗争を位置づけることが難しいのでしょう。
 などと書きましたが、人のことをとやかくいえません。かなり前にアマゾン(ブラジルのアマゾンではもちろんありません(^o^))で『汚れた心』という映画のDVDを買ったまま忘れていました。勝ち組が、「汚れた心」をもった「国賊」だと負け組を殺してしまう事件を描いたブラジル映画ですが、どうも最近シリアスなものには手が伸びず、封も切らずにどこかに積んだままです。この抗争は、NHKで以前放映した橋田壽賀子のドラマでも扱われたらしく、上記の岡村淳が盗作と訴える事件もあったそうですが、もちろんそれも見ていません。
 ということで、人の「移民」観についてとやかくいう資格はありません。寿司屋にあるのは握り寿司、さしあたりそれでよろしいのではないでしょうか。