猿の「反省!」

 ボス猿は得意絶頂であった。大舞台に立つことができたからである。自分の他には、アメリカ公演の大舞台に立ったものはいない。今日ばかりは、首につけられた縄のことも忘れた。猿軍団のトップである自分は、今、長年自分たちを飼育し芸を教え込んできた調教師と、同じ舞台に立っている。対等だ、と猿は思った。
 猿は、調教師の望み通りに、仕込まれた芸を次々と披露していった。そしていよいよ、「反省!」という声がかかった。猿は、急いで調教師の膝元に行き、その膝に手をついて頭を下げた。猿の「芸」を見に来た人た観客たちは、期待通りの反省ポーズに大いに拍手した。中には、翌日になって、クサイ中途半端な芸でしかなかったなどと漏らす観客もいたから、拍手には儀礼的なものも含まれていたのだが、猿の頭では、そこまで理解できなかった。 
 だいたい、観客たちの拍手を受けて、猿は、自分の芸で観客を感動させた、と得意になったが、そこが毛が三本足りない悲しさ。観客たちの拍手は、猿に対してではなく、飴と鞭で猿をうまく仕込んだ調教師に対して向けられたものだった。例の「反省!」芸にしても、仕込まれた「ポーズ」でしかないことは、誰にも分かっている。観客は、そのポーズを、人間様である調教師に、ひいては人間様である自分たちにむけられた、「屈服!」ポーズと見て満足したのであった。もとより「心」のない猿が。「反省」などするわけがないではないか。
 けれども、猿が反省などするわけがない、と思った点では、観客は全く正しかったが、猿には内心などはない、と思った点では、観客たちは間違っていた。猿にとって、アメリカの晴れ舞台で、調教師の膝に手をついて反省ポーズをしてみせることは、むしろ強烈な内心の表れでもあったのだ。猿は屈服の反省ポーズをとりながら、思っていた。「俺が反省するのは調教師に対してなのだぞ、昔人間様をひっかいたことは確かにまずかった。しかし、お前らにしたことについては、反省も、ましてや謝りもするもんか。文句があれば、おれのご主人である人間様に聞いてみろ。この反省ポーズで過去は消えた、これからは未来だ、というに違いない。俺たち猿だけが、人類に忠実な「類人」なのだ。世界の主人である人間様が、森の主人は相変わらず俺たち猿だと認めてくれたのだぞ。お前ら獣どもに四の五のいわれる筋合いはない」・・・
 しかし振り返ってみると、ボス猿にそこまで強気でいさせているのは、われわれ猿が彼をボスと認め、われわれ自身が似たり寄ったりのことを思っていればこそだろう。当分森は荒れそうだ。