市民たちはどこで死ぬのか

 突然始まった。
 ポン、ポンと鼓膜を揺する・・・爆発音。
 祖母は死亡。爆発でえぐれた地面に肉片が散った。
「静かで礼儀正しい青年だったよ」
 文字通り「虐殺」されたのである。

 ・・・二日間の新聞からの引用である。二つの土地で起こった、二つの出来事についての記事の断片を、混ぜ合わせてみた。いずれも、日常生活を送っていた市民たちを突如襲った、痛ましい悲劇である。
 たまたまそこに住んでいたというだけで、「標的」とされ、「正義」の名のもとに、「無差別」に殺された人々・・
 しかし、政治欄に大きく、「各国首脳が強く非難」し、首相が「憤り」を表明したと書かれているのは、120名のフランス人の生命についてである。論説欄で、「自分の身の上に何が起こっているのかも分からないままに命を奪われた、彼ら、彼女らの無念や絶望を思うと、本当に言葉が紡げなくなる」、「(彼らと)私たちは地続きだ」、と書かれているのも、もちろんパリの事件についてである。
 一方、それに先立って、別の土地で無差別爆撃を受け、「爆発でえぐれた地面に肉片が散った」「祖母」をはじめとする、120名よりはるかにはるかに大勢の市民たちについては、「命を奪われた、彼ら、彼女らの無念や絶望を思う」といったことは、どこにも書かれてはいない。
 もちろん、彼ら市民たちを爆撃したのが、欧米の軍用機だからである。彼らが、たまたまフランスの首都にいた市民ではなく、たまたまシリア、パキスタンその他の、目を付けられた地域にいた市民たちだからである。
 たまたまそこに住んでいたというだけで、「標的」とされ、「正義」の名のもとに、「無差別」に殺されたフランスの、シリアの、パキスタンの、その他さまざまな地域の人々・・・を思うとき、「本当に言葉が紡げなくなる」のは、そのことである。