帝国の慰安婦:安堵の共同性21

 「何を訳の分からないことを・・。素人さんが、イチャモンとか何とか、なれないことに口を出すのはやめた方がよござんすよ。
 私らには事情はよく分かりませんが、いってみれば、こういうことで。
 ・・・・・村娘が泣き止まず村人の怒りもおさまらず、困っているところへ、「帝国」ってのが口を出し、「同情はしますがね。でも憎んではいなかった、和姦の気持ちもあったと、私はこの耳で聞きましたよ。ここはひとつ示談で和解に進むのがお互いによろしいかと」、てなことをいった。聞いた娘はもっと泣き叫んだが、こちらから口の立つ某が進み出て、「いやそれはいいことをいわれる。和解と友好こそ望むところ。どうでしょう、皆の衆」、と持ち上げた。ところがそこへ、「ちょっと待った、そいつのいうことはデタラメだぜ」と、「忘却」という野郎がしゃしゃり出てきた。・・・・・
 さて、どうするか。もちろん某の取るべき道はひとつです。一旦仁義を切った以上は、「帝国」に助太刀して「忘却」の野郎を返り討ちにするのが、スジというもの。まともな男なら、「忘却」のような野郎が現れるかもしれないこと位は分かった上で、「帝国」の肩をもった筈。ま、そんな予測もできない三下なら、みっともないことながら、「いや待ってくれ、一体どういうことなのか」と、その場で狼狽えることがあるかもしれやせんがね。
 しかしね、私らの世界で、三下以下、一番のゲスとされるのは、喧嘩が始まったとたんに、何もいわずコソコソと無言で立ち去るような野郎でさあ。まあ、堅気の世界ではよくあることかもしれやせんがね。それがひとつ。
 で、もうひとつ。あちらじゃお役人が出すな読むなというらしく、こちらじゃそういうことはない代わり、何事も商売第一。名の通った戯作者などの口添えの有る無しで、版元の出す出さないも決まれば、貸本屋仕入れも決まる。というわけで、版元からすればお役人に気を使うか戯作者たちに気を使うかの違い。読者からすれば、何がどうなっているのかも分からないまま、あちらじゃ「帝国」が読みづらく、こちらじゃ「忘却」が読みづらい。
 あちらのことに抗議するならチットはこちらのことにも気をかけて、どちらの版元も両方出し、どちらの貸本屋にも両方あるというのがいいのじゃござんせんか。などと、私なんぞがいえば、これはイチャモンとお叱りもので。」(続く)