武士道について1:売り込み戦略としての「道」

 (「帝国の慰安婦」という題をつけながら、肝心の本を読むのはこれから、というところで、当然まだ<続く>のですが、飽きてきたので、別のことを挟みます。というか、大体、寝る前に日記を書くような感じで適当なことを適当に書いているだけですから、どうでもいいのですが、それでも、僅かといえども、わざわざ訪れて読んでくださる方がいらっしゃるようですので、ちょっとお断りを。)
 数日前、斎藤美奈子の新書について少し触れました。文庫本「解説」批評といったもので、面白く読んだのですが、中に、武士道本についての回がありました。取り上げられているのは、武士道といえば代表的な、新渡戸稲造『武士道』と、いわゆる『葉隠』で、両者の解説を解説した後、斎藤氏は次のように指摘しています。少し長いですが面白いので、先ずそれを引用します。
 まとめてみよう。二冊の本は、似たような時代背景と同じ執筆意図を持っていた。すなわち
 1)時代の大転換(明治維新江戸幕府開闢)によって、
 2)失われた過去の気風(美風)を、
 3)日本を(当時を)知らない人々に伝える。
 おわかりだろうか。だからこそ「日本人はこれでよいのか」な人々に支持され、今日まで生き残ったのだ。だって、もともと「過去の栄光」の本なのだから。
 しかし、二冊の解説は、武士道がどんな形で消費されてきたかを身をもって示している点で興味深い。「日本人はこれでよいのか」と思ったときに読まれる書。そんな解説に牽引されて「いまの日本人はたるんでる」と考える読者。100年前、いや400年前から同じことがくり返され、とうとう自衛官の挨拶にまで武士道は登場するに至ったのだ。
 もっとも語る側にしてみたら、この種の語りは楽しい「昔語り」である。
 「君たち西洋人は知らぬと思うが、日本の文化はこうなのである」
 「若い諸君は知らんだろうが、昔の日本人はこうだったのじゃ」
 新渡戸稲造も山本常朝も不マジメだったとはいわないが、そりゃ多少の誇張(ネタ)は入るわね。ちっとは話も盛りたくなるでしよ。考えてもみなさいよ。受け手はどこまでも真剣(マジ)である、ご機嫌になるなというほうが無理な相談ではござらぬか。

 足し引きすることは何もありません。のですが、少しだけ付け足してみます。つまり蛇足です。
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 世の中にやたら多いのですが、「道」とつくと、精神主義、伝統権威といったイメージが加算されて立派に見えます。しかし、夫婦同姓が明治期に「作られた伝統」でしかないのと同様に、何とか道といわれるもののかなり多くは、明治の国家主義と相性の良いものとして、新たに「作られた伝統」です。その場合、守りたいのは、「失われた過去の気風(美風)」というよりも、家元制度や段位制度などで固められた「現在のお家体制」であって、ただその精神性が、五輪書とか風姿花伝などなどを借りて、あたかも連綿と過去から続くかのように装われる。とまあ、そういったものが多いようです。
 武士道に最も近いのは「武道」ですが、「柔道」が嘉納治五郎によって創設された明治の産物であることは有名ですので、ここではもうひとつの「剣道」をとってみましょう。
 明治の世になり、剣術家は大道芸人同然になっていたのですが、勇ましくなってゆく国家の勢いを背に、新たな道を見出し、明治の終わりに、「剣道」という「道」が売り込まれてゆきます。講道館が、「柔術」を「柔道」と名前を変えることで、柔道家に体育教師という就職口を開いたように、武徳会もまた、「剣術使い」を「剣道家」と名称変更することで、彼らは人殺し技術を見せる大道芸人ではなく、竹刀で人を叩くのが素早いアスリートというだけでなく、優れた人間教育者なのだと、売り込んでゆく道を開いたのでした。
 そこで重要な意味を持たせられたのが、「道」という文字に載せた精神性でした。「兵法家伝書」、「不動智神妙録」、「五輪の書」などを使って、剣道が高い精神性に基づくものだということが売り込まれてゆきました。日本「弓道」の精神性に感激し、弓道はアーチェリーとは全く違うのだと、一冊本を書いてしまった西欧哲学者がいますが、同様に、剣道はフェンシングとは違い、柔道はレスリングとは違う、というのが、売り込みの決め手に使われるのでした。
 武士道の聖書扱いされる二冊が、「失われた過去の気風(美風)」を伝えたい、というものであった、という斉藤氏の見立ては、その通りでしょう。けれども、少なくとも、講道館道家や武徳会剣道家にとっては、武士道は過去のものではなく、むしろ、勇ましい帝国主義的明治国家に寄り添い、庇護を受けつつ、「いまの武道家に備わった気風(美風)」として、宣伝されて行った、新しい戦略の産物だったという面をもっています。
 もっとも『武士道』を書いた新渡戸は、柔道にも剣道にも多分縁がなく、明治国家とつるむような体質の人ではありません。けれども、アメリカ女性と結婚してアメリカで暮らし、英語で『武士道』を書いた新渡戸は、日本人の売値を上げようという激しい気概をもってこの本を書いた点で、立派に明治国家の傍らにいたといえます。いうならば、「洗練された鹿鳴館人」とでもいえるでしょうか。などと、いい加減なことをいってしまいました。また修正します。(続く)