武士道について8:ゴロツキの道

 「武士道が武士の道徳を指す言葉として一般的に用いられるようになったのは、明治以降である」(国史大辞典)。新たな言葉が作られて拡がるということは、新たなイメージが作られて拡がるということです。で、そのイメージですが、「武士道」といえば、清廉、高潔、沈着・・・といろいろでしょうが、行動規則としていえば、柱は2つでしょう。ひとつは、「忠義を尽す」こと、平たくいえば、絶対に「主」を<裏切らない>こと、身命を賭して主の信頼に応えることですね。で、もうひとつは、「フェアである」こと、堂々戦いに臨んで相手に<卑怯な手は使わない>こと、卑怯に勝つよりはむしろ名を惜しんで潔く散ることこそが、花は桜木人は武士、というものでしょう。
 ところが、武士がもっとも武士らしくあった時代、武士が「武」によって命懸けで支配地を守り天下を争った時代には、優れた武将は、何度も<裏切り><裏切らせ>、躊躇なく<卑怯な>謀略や奇襲を尽くして、勝ち上がってゆきました。信長は卑怯な奇襲で今川を破り、その主君信長を光秀は裏切り・・・(そういえば、先に清正の卑怯な裏切りの話にも触れました)。もちろん武将だけではありません。五輪書によって武士道の真髄を悟っていたとされる武蔵も、卑怯な遅刻焦らし戦法で小次郎に勝ち・・・。
 これらの武士を、「卑怯者」「裏切り者」と謗ってはいけません。当然のことですが、実力で生きる「武士の時代」の武士たちにとっては、戦いに勝つことこそが一番。そのためには、<謀略、策略、だまし討ち>も、当然の正当な戦術のうちでした。また、主従関係は所領安堵と報恩の相互的契約関係であり、一旦緩急あって、主君を裏切るべき時には、躊躇なく裏切るのも、当然の正当な戦略のうちでした。軍記物語では、謀略、策略、だまし討ちなどによって結局「勝った」武士が、智将だ戦略家だと称賛されます。
 『甲陽軍鑑』などでもいわれています。「武者は犬畜生といわれても、とにかく勝つことが一番である」。「作戦を立てるときには、敵をだますことが大事である」。「強い敵に死ぬ覚悟でぶつかるのは、愚かなことである。策略を使って何としてでも勝つのが武士である」・・・。
 そんなわけで、もともと中世史を知り武士の実態を知る人々は、新渡戸のイメージに迷わされてはいません。
 「士道などといっているものは、ヤクザの精神みたいなものだ」。(本多忠籌)
 「武士の主従関係というのは、まるでヤクザの親分子分の関係みたいだ」。(植村正久)
 「武士道とはゴロツキの道徳だ」。(折口信夫
 「どんな時代にもどんな国にも、盗賊などの仲間には、一種の厳格な道徳が行われ、一種の美しい気風習慣がみられるが、武士道もそれと同様である」。(津田左右吉
 でもまあ、イメージはイメージ。いわゆる立派な「武士道」のお話しはお話しとして楽しめばいいのでしょう。いまだに「忠臣蔵」は国民的ドラマです。
 もっとも四十七士も、「忠臣」として死ぬつもりではなく、実は就活のつもりだったというお話もありますし、第一あのお話しは、騙しに騙した末の卑怯な夜襲だからこそ面白いのですが。(続く)