ちょっとブレイク:日本の桜は美しいのか

 水原紫苑『桜は本当に美しいのか』平凡社ライブラリー。面白く一気に読んだ。
 たまたま本屋の棚で見つけて買ったのだが、もと新書で出ていたものの「改訂版」だそうで、それは読んでいないというか、知らなかった。
 街の本屋がどんどん消えてゆきつつある。注文すればネットで手軽に買えるといっても、私のように日頃書評誌等を読んだりもしていない無精者には、こういう風に、知らなかった良書に出会えるのは、本屋のおかげである。
 タイトルを付けたのは著書か出版社か知らないが、「欲望が生んだ文化装置」という固い副題と並べると少しキャッチーに見える。だが、それが狙いであろう。つまり日本人には、このタイトルで何が問題となっているのかが即座に分かる。いわばその「分かる」が、文化装置というものなのだろう。
 これは全く勝手な想像であって当ってはいないだろうが、「桜は本当に美しいのか」というタイトルにするか、端的に「桜は美しいか」とするか、著者は一瞬迷ったのではないかと想像してみる。
 すなわち著者は、一人の歌人である私として「桜」に対峙し、直裁的に「おまえは美しいか」と呼びかける。と同時に、著者は、「桜は美しい」という共同の幻想あるいは幻想の共同体を外在化し、「「桜は美しい」というのは本当か」、と問い詰める。この問は二つであって一つである。
 さらに、その問いは、王朝文化の中で育まれその後の歴史の中で断続的に受け継がれてきた和歌ないしは短歌という詩型にも向けられるだろう。桜をよみ続けてきた「短歌は本当に美しいのか」、「短歌は美しいか」。
 歌心のない私などにはこれ以上のことは何もいえない。歌人でなければ書けない本を読ませてもらった。