自然に死ぬ8

 いつものように、前を読み返さずに書いているので、少しおかしくなったりしていますが、お許しを。
 あくまで私の感じに過ぎませんが、最近、新聞の医療関連記事の見出しなどに、「自然死」ということばをよく見かけるようになった、という話をしていたのでした。古くからの「尊厳死」や「安楽死」ということばより、「自然死」あるいはまた「老衰死」ということばの方が、話題としてはむしろ多いかもしれません。確かに、どうせ不可避な死なら、治療に治療を重ねましたが薬効甲斐なく万策尽きました、と、いわば敗北としての死のようにいわれるよりも、人生を全うした末の自然な死です、といわれる方が、ご当人も残される者も望ましく受け入れられるでしょう。
 それはそうでしょうが、それだけのことではありません。最近「自然死」という用語がよく使われるようになったのは、その語にいくつかの効用があるからでしょう。
 「自然の死」といういい方の第一の効用は、繰り返しになりますが、これまで殺人とされた行為を免責できることです。
 いまの時代には、点滴、ペースメーカー、透析その他その他、様々な医療措置で生命をつないでおられる方々がたくさんいます。もちろん、それらの医療措置を故意に中止して死をもたらす行為は、普通は殺人と呼ばれ、その死は、あってはならない非業の死と呼ばれるでしょう。
 ところで、警察でよく使われる統計では、交通事故発生から24時間以内に死亡した場合にのみ「交通事故による死」と数えます。これはまあ、そうしないと「昨日の交通事故:死者◯名」という掲示が出せないからであって、別の目的のためには他の統計も使われるようですが、ともかく、事故から死までの間は、直結しているとは限りません。
 そこで、弁護士がこういえば、どうでしょうか。「彼女は確かに夫をナイフで刺し、夫は数分後に出血多量で死にました。しかし人が出血多量によって死ぬのは自然現象です。彼女が夫を殺した、というのは妥当ではありません。夫の死は自然の死です。」
 これは誰が聞いても詭弁ですが、では、こういうのはどうでしょうか。「医師は確かに患者の呼吸器を止め、患者は数分後に呼吸困難で死にました。しかし人が呼吸できずに死ぬのは自然現象です。医師が患者を殺した、というのは妥当ではありません。患者の死は自然の死です。」・・・こういうように処理できる、というのがおそらく、「自然の死」ということばの第一の効用でしょう。
 さて第二の効用は、ご当人に<死を勧める>、あるいは<死を強いる>ことが、より容易になることです。医師が尋ねます。「尊厳を失わず、安楽に、自然に死ねます。それでも、尊厳を失い、苦痛に満ちて、不自然に生き続けたいですか」。患者の意向を聞き取ろうとしているように聞こえますが、既に「生き続けるのは不自然、死ぬのが自然」という社会的判断が下されているのですから、たまったものではありません。
 そんなことをいっても、ご老人なのだから、まあしょうがないのでは、と思われるでしょうか。
 先日、ロンドンの病院に入院して、呼吸器をつけていた患者のことが、新聞記事が出ました。お読みになった方もおられるでしょうが、記憶によれば、あらまし、こんな記事でした。
 患者は、難病のため呼吸器で生命をつないでいる状態だったが、病院は、回復の可能性はないとして、呼吸器を外して死なせることを家族に勧めた。それでも強く延命を願った家族は、アメリカで先端高度医療を受けられることを知り、それに賭けようとした。ところが病院は、その医療による回復の可能性はなく無駄だとして、患者の渡航転院を認めなかった。家族は訴訟を起こしたが、二審のロンドン高等裁判所も、病院の言い分を認め、家族はやむなく呼吸器を外すことを認めざるをえなかった。・・・ざっと、そういう事件です。(きちんと引用すべできでしょうが、古い記事を探すのは面倒なので、お手数ですが、関心のある方はご自分で探してください。ここ1、2ヶ月以内の記事です。)
 外国のことでもあって、記事には詳しい説明も解説もなく、「転院渡航を認めない」という病院側の<権限行使>や、また家族が訴訟を起こしても病院を支持した司法判断など、不可解なのですが、事情がよく分かりません。
 分かりませんが、記事によると確かなことがひとつあります。いまあえて「患者」とだけ書いて伏せてきたのですが、呼吸器を外すよう強く勧められ、延命を拒否されたこの患者は、老人ではなく<幼児>なのです。(続く)