自然に死ぬ9

 (内外ともに実に騒然としているところ、間の抜けた件で申し訳けありませんが、乗りかかったもので。)
 つい先日のTVドラマに、こんなシーンがありました。今はまだベッドに静かに寝て話もできる老婦人ですが、友人が医師に「最後は苦しまないようにお願いします」といい、医師も、「分かっています。そのつもりです」と答えます。友人というだけで家族ではなく、本人が申し出たわけでもないのですが、結局医師はどうしたのかしなかったのか。それはあいまいなまま、というよりあいまいだからこそ、視聴者からのクレームは多分なかったでしょう。
 例えば、小津の『小早川家の秋』で、遠くの火葬場の煙を見ながら、望月優子笠智衆にいいます。「あれが爺さまや婆さまやったら大事ないけど、若い人やったら可哀想やなあ」。お年寄りは静かに順送りで「大事ない」という、昔からの共同了解です。
 ただ、「手を尽しましたが薬石効なく」という建前を残しつつ実際にはあいまいに「分かっています」という共同了解で運ぶのではなく、「もうムダです。いますぐ死ぬのが自然です」という身も蓋もないいい方にすると、爺さまや婆さまの話が、幼児の話にまで転用できるという「利点」が生まれます。「この子を老人よりもっと長く寝かせておくのは、老人よりもっとムダだです」。
 橋本治が書いていましたが、地震津波原発メルトダウンという大災害の後、経済産業省の官僚がブログに「東北の復興なんかムダだからやめてしまえ」といった類ののことを書いたそうですね。橋本もいっていますが、「ムダだ」ということばは、「大災害」や「東北」という限定を越えてゆきます。
 「国難」という大仰な言葉が持ち出されるらしいですが、笑っているだけではすみません。国難を打破し強い日本を「取り戻す」ためには、一にも二にも経済力の再上昇。ところがそれを阻害しているのが、「地方衰退と高齢化」。年々衰退する一方の「地方」も、日々衰退する一方の「老人」も、共にムダ金を食うだけの存在だ、ということでしょう。地方を支える農業を延命させている関税保護をTPPで中止して、日本の農業を自然死させ、老人を延命させている装置を中断して、老人を自然死させる。(続く)