自然に死ぬ10

 老人と地方の話ではありません。「ムダ」はいくらでもあります。
 「東北の復興はムダ」という官僚の言葉は炎上して撤回したそうですが、これほど分かりやすい発言はありません。つぎ込んだ税金が経済成長に寄与して税収増加となって返ってくればプラスだが、返ってこないのはマイナスで「ムダ」。破壊された東北、全国の過疎地、残っている老人だけでなく、重いハンディキャップのある人も生活保護受給者もニートもホームレスも、その他その他も。老人より長く寝たきりの人生を送るだろう幼児に対して呼吸器を外すよう強いたロンドンの医師や裁判官も、「合理的なムダ判断」をしたということになるのでしょう。
 もちろん、本音ではムダと思ってもそれは隠し、あるいは少しばかりの憐れみをもって、あるいは選挙のことを考えて、あるいは利権のことを考えて、かどうか知りませんが、「東北復興」にしても「地方再生」にしても「社会福祉」にしても、一応の税金は使っています。そして世間の人々も、本音発言はまずいだろうと炎上させたり撤回させたりしつつ、口だけで「待機児童をゼロにします」などと発言すれば、「よくやった」ではなく「よくいった」と一件落着、支持するわけです。
 しかし、「ムダ」発言は炎上したり撤回されたりしても、「ムダ」感は、ボディブローのように、世間に浸透してゆきます。
 「世間」には、もちろん当事者もいます。先月だったと思いますが、新聞の読者投書欄に、80何才かの老人のご意見が出ていました。医療費高騰で財政が圧迫されているのだから、若い人を優先して、老人医療を制限してはどうかという、大変健気というか謙虚というか、件の官僚などを大喜びさせるありがたいご意見で、もちろんだからこそ新聞社が喜んで採用したのでしょう。
 また、待機児童を抱えて風俗店の待機部屋で暮らす女性も、持病を抱えて公園のテントを追い出されるホームレスも、ボディブローを受けて生活保護は申し訳ないと遠慮し、それをいいことに窓口では、住む場所がないから申請に来た人を住む場所がないからと追い返します。
 一方「世間」には、ダーティハリー自警団気質の人もいて、官僚や政治家が立場上撤回したり否定したりせざるをえない本音のヘイトを「正義感」からがなり立てたり、ホームレスを襲撃したりするのです。さらには「やまゆり」も。(続く)