「楽しい」時代6

 ところで、先に触れたように、わくわくするほど「すばらしく、楽しい」ショッピングモール「内部」がワンダーランドとして完結するためにこそ、その「外部」は、客にとっては「存在しない」領域として隠されます。それでも、両氏のように、単なる客ではなくモールを「評論」して盛り上がろうというプロ?の客は、さすが、隠された領域を見逃しません。というか、そのことでまた話を盛り上げて楽しみます。
 内部で楽しい買い物をする客には見えない外部ないし裏手の領域は、「バックヤード」と呼ばれます。内部が、客が「買う」領域であるのに対して、外部ないしバックヤードは、たくさんの人々が「働く」領域です。彼らの職場もまた、内部のように安全で清潔で行き届いた、楽しい世界なのでしょうか。
 数日前、ディズニーランドでミッキーマウスか何かのぬいぐるみに入っていた人に労災が認められた、というニュースがありました。外の景色も給水塔もその他何でも徹底して隠すディズニーランドの理念からすれば、実に痛恨の出来事だったことでしょう。ディズニーランドがすばらしい夢のワンダーランドであり続けるためには、ぬいぐるみの中の人には、裏方に徹して苛酷な職場で黙って耐えてもらわねばなりません。ショッピングモールで働くバイトの店員にも、商品を納入するトラックの運転手にも、遠く生産地の下請け業者にも、その他世界中の様々な場所で働く人々にも。
 客を吸い寄せる華やかなショッピングモールや巨大なアミューズメントパークと、それを支える、外部または裏手のバックヤード。この構図が、人々を吸い寄せる華やかな大都会と、人も財も吸い取られつつ都会を裏で支える地方という構図に対応しているということに、もちろん兩氏は気付いています。
 ショッピングモールとバクヤードという構図でいえば、「東京を支えている地方すべてがバックヤードかなと」。「福島第一原発の問題がまさにその構造を象徴しています」。
 かつての高度成長期日本人は、「アフリカの子ども」や「地方」や「過去の歴史」や「韓国や中国」に対して「後ろめたさを感じる余裕があった」。しかしいまは、「バックヤードからの不満」が寄せられるなか、「不満だらけ」で、後ろめたさを自覚し反省する余裕がない。「なぜそんなことをしなければならないのだと、日本人自体が不満に思うようになっている、というのが今の状態です。」
 で、「その構造」、「今の状態」を確認した上で、さてそこで、どうなのか。
 「東京を支えている地方すべてがバックヤード」となっており、「福島第一原発の問題がまさにその構造を象徴してい」る。でも、「東京には人を集めなければいけないし、これからも集まっていくだろうと思います。そういうと、東京だけが栄えてほかの地域は過疎化してもいいのかと反論される。でもそれが現実ならばやむを得ないのではないか。」
 というのも、「21世紀は国家の競争ではなく、都市間競争の時代である、ということです。それぞれの国内では地方と都市の生活水準の格差が拡大する一方、世界のグローバルシティ同士ではほとんど同じ水準で競争になる。それがつまりグローバルシティが所属する国全体をバックヤードとして使って戦うということを意味している。こういうことを言うと批判を呼びそうですが、日本全体が東京のバックヤードになって、東京が都市と戦っている。」
 いやあ、つらいですねえ。黙って耐えなばならないのはぬいぐるみの中の人だけではありません。「生活水準の格差拡大」に耐えて、東京を輝かせるバックヤード、踏み台になることしか未来はない、ということなんですね。そりゃあ、「日本酒を片手に安部政権を批判」しながら地域商店街からどうとか里山からどうとか議論してもしょうがない。そんなちゃちなプランはちゃんちゃらおかしい、ということになるでしょう。(続く)