「楽しい」時代7

 「東京には人を集めなければいけないし、これからも集まっていくだろうと思います。そういうと、東京だけが栄えてほかの地域は過疎化してもいいのかと反論される。でもそれが現実ならばやむを得ないのではないか。そもそも日本全体で人口が減っているのだから、すべての地方が輝くわけがない。」
 「輝くわけがない」のだから、むしろ、エネルギーのバックヤード福島、軍事保障のバックヤード沖縄というように、「日本全体が東京のバックヤードになって」、グローバルシティ・トウキョウを輝かすべきだ。「それが現実ならばやむをえない」ではないか。
 (尚中) 「関東、中京地方、関西地区、ここにだいたい日本のGDPの半分以上が集中しているので、あとはもう「その他雑魚(ざこ)」とみなされている。」
 内田(樹) 「〜総務省が推進している「地方創生」というのはそういうものだと僕は思っています。あれは、首都圏、名古屋、大阪ぐらいを残して、あとは基本的に放置するという「国土放棄」の政策ですから。」
  「首都圏以外は雑魚構想ですね。」
 内田 「ええ、「雑魚は死んでもいい」と思っている。〜政府が出してきた「コンパクトシティ構想」というのがありますけれど、これはこれはもう里山には行政コストはかけないという宣言だと僕は理解しています。
 「里山にはもう住めない」〜と言って、郊外から都市部への人口移動を促す〜。(でも)いずれ当のコンパクトシティそのものがまるごと限界集落化する。〜 
 〜そうやって最終的には首都圏だけが居住可能で、その外には広大な「無住の荒野」が広がる日本列島になる。悪夢のような想像ですけれども、人口減局面で、なお経済成長するなどという無法なことを考えたら、できることは地方の切り捨て、国民資源の首都圈集中以外にありませんから。」
 う〜ん。どっちから見ても、もはや、地方はダメなようですね。内田氏に強く共感して「無法なこと」だと憤っても、東氏に「それが現実」だといわれてしまう。やっぱりトウキョウ・タワーを目指して集まる他ないのでしょうか。
 「故郷から、かなた遠くにあるという自由を求めた。東京にある自由は、素晴らしいものだと考えて疑いがなかった。」(しかし)「大空を飛びたいと願って、たとえそれが叶ったとしても、それは幸せなのか、楽しいことなのかはわからない。」「〜程度の低い自由は、思考と感情を麻痺させて、その者を身体ごと道路脇のドブに導く。」(リリー・フランキー) 
 いやはや。「程度の低い」凡人には、トウキョウもなかなか大変なようです。それでも、せめて「ショッピングモールの内部」だけでも、東氏らのいうように、「人々の理想とするような街が実現されていたりする」のならいいのですが。お金を使って買い物したりアトラクションを楽しむことが、ほんとに楽しい生活、楽しい人生につながるのでしょうか。
 最後にもうひとつ、稲垣えみ子氏を引用します。
 「どの家も、家電だけじゃなくて、今やあらゆるものが溢れてパンパンです。こうしてさらに暮らしは複雑になっていく。多すぎるモノはだんだん、人々の手に負えなくなってくる。
 〜記憶の乱れ始めた母は、新しい家電だけでなく、溢れ返ったモノたちに苦しめられるようになりました。〜
 〜そんな両親の家に滞在中、駅前のショッピングセンターヘタ食の買い物に出かけた私は、きらびやかに所狭しと展示されたモノの群れと、そこで買い物を楽しむ親子連れの人波の中で、ふと立ち尽くしてしまいました。
 今ここにいる自分は、この世界から相手にされていないんだと思ったのです。〜
 私はここにいるけれど、いないも同然でした。ここは、我が家族のための世界ではなかった。それじゃあいったい、私たちのための世界はどこにあるというのだろう?
 モノは結局のところ人を救うことはできないのではないでしょうか。消費社会とは、モノを売ったり買ったりすることができる健康で強い人たちのためのサークル活動です。それは一方で、本当に救いを求めている人たちをはじき出していく会員制クラブに成り果てている。だからみんなはじき出されまいと必死です。いつまでも若く健康で老いることなくポックリ死にたいと切ないばかりに誰もが願っている。でもそんなこと無理ですよ。それはみんなうすうすわかっているんです。だから誰もが恐怖の淵を怯えながら生きています。
 〜いったいどうしてこんなことになってしまったのか。」(続く)