アジア2

 巷では「AAA三悪人」という言い方もされているようで、もちろん「AべAきえAそう」なのでしょう。ようやく支持率が下って来たようですが、大雪崩までゆくでしょうか。
 さて、さしあたり「アジア」と表題を掲げましたが、中島氏の本の紹介や書評がメインではありません。けれども、きっかけですので少しだけ。
 氏が「アジア主義」に目覚めたのは、イラク戦争からでした。アメリカが根拠のない言いがかりをつけて一方的に大規模攻撃をかけると、即座に小泉首相アメリカ支持を表明し、沖縄の普天間基地から飛び立った爆撃機が、ファルージャ市民たちの頭上に爆弾の雨を降らせる・・・そのニュースを見て、氏は心のうちで叫びます。「同じアジア人が攻撃されている。それをなぜ日本の首相はとめようとしないのか。〜イラク人は同じアジア人じゃないのか!!」。こうして氏はいいます。「イラク戦争は、私にとって「アジア主義」を引き受ける覚悟と意志を決定的にした出来事だったのです。」
 けれども、そのような覚悟は、大きな歴史問題に直面します。明治以降の「アジア主義」もまた、西洋帝国主義によって「同じアジア人が攻撃されている」という心情的義憤から出発しながら、たちまち、日本が「同じアジア人を攻撃し侵略する」という日本帝国主義の歴史に流れ込んでいったからです。「アジア主義」をいま「引き受ける」という「覚悟」は、アジア連帯からアジア侵略へという「アジア主義」の歴史を、どのように捉え直すか、という問題に取り組むことに他なりません。中島氏の本が「絶賛」されるのは、その取り組みを、歴史に即して大変分かりやすく読ませてくれるからでしょう。
 どういう回路を通っても、アジアへの「連帯」はアジア「侵略」に順接してしまうのでしょうか。日本帝国主義のアジア侵略は、「アジア主義」の当然の帰結であって、アジア主義は、それ以外の歴史をもちえないのでしょうか。それともアジア主義には、侵略史とは別の展開がありえたのであり、なお取り出すべき何かがあるのでしょうか。
 思えば、その切実な問題に取り組んだのが竹内好であり、彼がたどりついたのが、有名な「方法としてのアジア」ということばでした。アジア主義は、アジア連帯の心情であり思想であり行動であるが、それは、西洋帝国主義に「抵抗する」というだけのものにとどまらず、西洋近代を超えて、より高い普遍性を作り出すものでなければならない。そのためには、「自分の中に独自なものがなければならない。それが何かと言うと、おそらくそういうものが実態としてあるとは思えない。しかし方法としては、つまり主体形成の過程としては、ありうるのではないか」。
 中島氏も、竹内を何度も参照しつつ筆を進めます。「竹内はアジア主義の中に「重要な可能性」の萌芽を見ようとします。そして、その可能性がいかにして権力に取り込まれ、潰えていったのかというプロセスを直視しようとします。」中島氏がアジア主義の歴史を振り返る基本的な見取り図も、同じといっていいでしょう。
 ただ中島氏は、竹内が(上の引用のように)、西洋近代の帝国主義への抵抗から進んで、西洋近代を超える何か「独自なもの」を求めつつ、「それが何かと言うと、おそらくそういうものが実態としてあるとは思えない」というところで、袂を分かちます。中島氏はいいます。いや、ないのではない。「アジアは近代の課題を超える存在論・認識論として存在する」、と。