アジア5

 そのような「アジアの思想」は、マホメットや釈迦の古代からずっとずっと流れ続けて、最も精緻な究極形が、西田幾多郎の「一即多多即一」、「絶対矛盾の自己同一」ということになるようです。
 ただ、天心もその他の人々も、アジアの思想を全うしきれずに、どころか多くがアジア侵略に加担し率先していった後、西田の一即多多即一もまた、その実体化が天皇制の八紘一宇でアジアは一つの屋根の下、ということになってゆきます。もちろん侵略の覇道ではなく王道の屋根だというでしょうし、さらにいえば、八紘一宇もまた時代に強いられた借表現だということだったのかもしれません。でも多分そうではないでしょう。
 最近本屋で、内田樹氏の『街場の天皇論』という本を見かけましたが、表紙に、「私はいかにして天皇主義者になったのか」といったような刺激的な一文があって、多分売れるのでしょう。立ち読みで大変申し訳ないのですが、あとがきを見ると(だから引用ではなく記憶ですが)、こんなような事が書いてありました。内田も老人になって天皇主義者になったのかという人がいるだろうが、そうではない。武道に打ち込んで来た私は、これまで一度たりとも天皇制を侮ったこともなければ、そこから自分が離脱し得たと思ったこともない。足をすくわれないためにこそである。とまあ、そんなことだったと思います。
 確かに天皇制は、だけではなくおよそ制度なるものは、幻想であるにもかかわらず、というより幻想であればこそ、決して侮れず離脱し難いことは間違いありません。例えば、つい最近も伝統だといえば差別ではないかのような馬鹿な言動がまかり通っていますが、性差別にしても民族差別にしても障害者差別にしてもその他何にしても、それらが横行する社会にあって自分は離脱できているとか侮れるとかいうのは、座っていながら空中浮遊できるというようなものでしょう。
 ただ、差別は侮れず離脱し得ないということと、だから自分は差別主義者だと自称することは、同じではありません。いい換えれば、誰しも振り返って差別主義者「ではないといえない」ことと差別主義者「であるという」こととの間にある隔絶こそが、もしかすると、例えば竹内好が「方法しかない」といったことだったのかもしれません。
 などとややこしい言い方をしてしまいました。もっと軽く書くつもりでしたが、つまり、天皇制は侮れないし離脱もできないというのはその通りとして、その制度には大きなデメリットがありつつも、しかし共同社会の平和的安定を保障する錘という、メリットというか社会機能もあって、などと(ちがっているかもしれませんが)言い出すところがよく分からない。
 そんなことをいえば、例えば仮に、不可触賤民を含む悪名高いカースト制度であっても、それもまた分業秩序に人々を配置するという、メリットといわずとも社会的機能があればこそ連綿天皇制以上に続いて来たのだ、ともいえるかもしれず、いやいえるでしょうが、だからといって、「私はカースト主義者だ」などとはなかなかいえるものではありません。
 でまあ、内田氏のことはそれとして元に戻りますが、例えば話に出たカースト制というのは、釈迦より前からあって、彼はそれを痛烈批判したとのこと。つまりカースト制はイカンという「思想」はあったわけですが、ところがその後も続いてしまいます。後のタゴールにしても、いやもっとずっと前からも、私は全く知りませんが、次々といろんな人の批判思想が現れたでしょうが、結局何十世紀もの間「思想」はあっても問題の制度を揺るがすには至らなかったわけです。人間が作ったものだから「幻想」ではあっても、侮れず離脱不可能なおそるべき制度です。
 もっとも、現カースト制度は実はイギリス帝国主義が作り出したものだとか、現天皇制は明治国家が作り出した「玉」だとかいえるかもしれませんし、長い歴史を一言で片付けることはできませんので、これはこれでやめておきますが、とにかく「思想がある」というだけでは、世の中なかなか難しいようです。中島氏には大いに期待したいところです。