アジア6

 マスコミはほとんど伝えませんが、週末には国会前に何万人もの人たちが集まったようですね。しかし支持率は下落中ながらまだ高いようで、世の中、侮ればすむことは何もありません。
 さて、訳の分からない大昔にまで広げすぎました。「アジア主義」という、あくまで近代日本に現れた<主義>に話を戻しますが、連帯が侵略とならず支配とならない、そんな思想的行動あるいは行動的思想といったものは、一体可能だったのか、あるいは可能なのだろうか、とまあそういう話なのでした。
 中島氏も繰り返し言及されるように、竹内は、滔天と天心が出会わなかったといいますが、それは行動が思想と出会わなかったという意味でもあれば、思想が行動と、観念が現実世界と、出会わなかったという意味でもあるでしょう。しかしもちろん、出会えばいいというような簡単なことでもありません。
 そういえば、「ボコ・ハラム(Boko Haram)とは、「西洋式教育は罪だ」という意味だそうですね。彼らにとっては、西洋式学校を襲撃して女子児童を集団拉致することは、「西洋」に抵抗し乗り越える「西洋にはない思想」の実践行動だということかもしれません。少なくとも彼らは、多分そう強弁するでしょう。
 西洋が、西の新大陸を破壊して南の大陸で集めた人々を家畜さながらに送り込み、さらに東のアジアに帝国主義の魔手を伸ばしてきたとき、そのとき東洋は、立派な思想があったために連帯して西洋を寄せ付けなかったし、「近代化」が進んだ極東の島国も洋才和魂、魂は売らず決して帝国主義国とはならなかった。・・・といいたいのですが、そういったことは、誠に残念なことながら、起こらなかったのでした。
 もちろん、それが何だというのか、です。私は中島氏を批判しているのでは全くありません。
 単なる抵抗としてだけのアジア主義を超えるには、「自分の中に独自なものがなければならない」が、「おそらくそういうものが実態としてあるとは思えない」。そう書いた竹内に対して中島氏は、いや「そういうもの」はある、といいます。多一で一多あるいは無または梵我一如で主客未分、そういう立派な「アジアの思想」が厳然としてあるのだ、と。
 けれども、おそらくそこには、それほどの対立はないように思われます。中島氏の大著は、そのような思想を解明して解説するといった本ではありません。最初に引いたように、中島氏はその本を、アメリカのイラク攻撃の報を聞いたときの気持ちから書き始めています。「私はこのとき、〜アジアと共に生きる道を選ばなければならないことを確信しました」。そしてその本を、「私は、アジア主義という「虎穴」の中を果敢に歩んでいきたいと思います」、ということばでしめくくります。
 比べれば竹内好の方が生ぬるいにしても、その「主体形成の過程としてはありうる」「方法としてのアジア」と、中島氏の「アジア主義を引き受ける覚悟と思想」は、それほど遠いものではないでしょう。
 ただし、両者には、違いがやはりあるようです。(続けます)