アジアあるいは義侠について7

 いつもの通り読み返さないまま、長々分からないことを書いてきて、今さらいうのも何ですが、ここまでは枕というか前置きのつもりです。といってもそれは、ここから先に何か実のあることを書こうとか書けるとか、そういう意味ではありません。そうではなくて、ここから先が、実はどうなるか分からないのです。
 前回末に竹内氏は少し生ぬるいといいましたが、それはいい方がまずく、戦中を生き戦争責任も感じている筈の知識人としての鬱屈が口こもらせているのでしょう。対して竹内の死と入れ替わりに生まれた若い中島氏は直截的です。
 さてそこで、はじめに、竹内に対する中島氏の批判箇所を、少し長く紹介します。(『アジア主義潮文庫版p56〜)(なお、中島氏は竹内を引用しながら論を進めていますので、以下分かりやすいように、行あけして、この色が中島氏この色が竹内、と区別します)。
 さて、中島氏は、竹内が次のように書いた箇所を、「極めて重要な問題を提起し」たものとして引用します。
 
 おくれて出発した日本の資本主義が、内部欠陥を対外進出によってカヴァする型をくり返すことによって、一九四五年まで来たことは事実である。これは根本は人民の弱さに基づくが、この型を成立させない契機を歴史上に発見できるか、というところに今日におけるアジア主義の最大の問題がかかっているだろう。」(竹内『日本とアジア』ページ省略、以下同じ)
 
 「アジア主義の最大の問題がかかっている」その問いを受けて、中島氏はいいます。
 
 彼は「根本は人民の弱さに基づく」と論じていますが、では人民が強くなれば、そのような問題は解消されるのでしょうか。
 竹内は、ギリギリの問いを発します。

 
 初期ナショナリズム膨張主義の結びつきは不可避なので、もしそれを否定すれば、そもそも日本の近代化はありえなかった。問題は、それが人民の自由の拡大とどう関係するかということだ。そしてこの回答は単純ではない。
 
 ここで竹内は、不可避の膨張主義は「人民の自由の拡大」と結びついているならば、それはアジア主義の可能性としてとらえていいのではないかという問いを投げかけているのです。


 と引用しただけで申し訳ないのですが、疲れたので今日はここでやめることにします。平置きのスキャナと自炊用の連続縦型スキャナは持っているのですが、ペン型やハンディタイプのスキャナは持っていません。それで人に聞いたgoogleドキュメントの音声入力を使って読み上げてみたのですが、読み取り%が今ひとつ。「もうキーボードはいらない」なんていってる人もいますので、きっとgoogle氏は私の声が嫌いなのでしょう。やっぱり私がgoogle氏の世界制覇をよく思っていないことがバレてしまったようです。(ではまた)