アジアあるいは義侠について10

 竹内は、「幕末から維新後にかけて、対外発展や海外雄飛の思想があったのは事実」であり、それは「近代革命の途上にあった当時の日本として当然である」といいます。そして、言論上だけでなく「実行」もあったとして、例えば、前回触れたように探検に行ったり商売に出向いたり、さらにハワイなどへの移民もそこに数えます。実際には、いわゆる「元年者」にしてもその後の官約移民にしても惨めなものですが、竹内にとっては、それは「雄飛」であり、そして、膨張ではあっても侵略ではありません。
 その前提となっているのは、竹内の明治維新観でしょう。少なくともこの文脈では、明治維新を「近代革命」として評価します。仮に「膨張」的なモメントが入っていても、「初期ナショナリズム膨張主義の結びつきは不可避」であって、それを否定するわけにはいかない。「対外発展や海外雄飛の思想」があるのは「当時の日本として当然」であって、それを侵略だなどということはできない、と。
 維新を「近代革命」として評価し、維新当初のナショナリズムに侵略の契機がないことを疑ってはいないということは、例えば西郷の評価にも関係してくるのですが、西郷のことは後にして、唐突ですが小説をひとつ(雑談ですので、漫画でも小説でも出てくるのです(^^))。
 安部龍太郎『維新の肖像』という時代小説があります。旧二本松藩士朝河正澄の子が、長じて渡米し、イェール大学教授となって、歴史学者として大きな業績を上げる一方、母国の軍国主義化を憂えて平和を求めて活動する。というのは歴史事実ですが、小説は、その歴史学者朝河貫一が、父のことを小説に書いているという仕組みになっています。小説中の朝河貫一は、学問的にではなくむしろ「小説という方法を用いてみると〜戊辰戦争を戦った人々の思いが身体に降りてくる。そして〜維新の本質も見えてくる」といい、こう述懐します。「関東軍は〜満州事変や上海事変を引き起こし〜狂暴乱入して他国を侵略している。薩摩や長州が戊辰戦争においておこなった所業を、判で押したようにくり返しているのだ」、と。
 明治維新とは何であったのか、という長い議論は一切無視しますが、とにかく、竹内が維新を「近代革命」として評価し、少なくとも初期の時点では雄飛や膨張はあっても「侵略」のモメントはなかった、という見方をしていることは、「彼の」(だけではなく「一般の」、ですが)立場として確認しておいた方がよいでしょう。
 それは、「ナショナリズム」つまりネイションステイト形成そのものは問題にしないということでもあります。「初期ナショナリズム膨張主義の結びつきは不可避」というとき、その「膨張」は海外へのそれとみなされており、会津の「くに」の不戦恭順を絶対許さずに「狂暴乱入」した薩長軍の行動は、雄飛でも膨張でも侵略でもない「近代化革命」の過程にすぎないと前もって処理されているのです。