アジアあるいは義侠について11:西郷隆盛

 西郷ドンとかいいう連続ドラマが放映中とのことですね。どんなドラマか誰が演じているのかも全く知りませんが。それに関係あるのかないのか、新たな西郷本も目につく気がします。といっても、そちらも中身は知りませんが。
 確かに西郷は謎の多い人物です。中学生並みのいい方でいえば、江戸城無血開城征韓論で下野して西南戦争で死んだが後に上野に銅像が立った人物、ということになりますが、人物像は単純ではありません。問題になるのは、征韓を強く主張した「侵略」主義者だったのかそうではないのか、特権を失う不平士族の親玉に担がれて西南戦争を起こした「反動」家だったのかそうではないのか、といったことでしょう。
 前に名前だけあげた毛利氏以来活発化する、前者の、征韓論政変にまつわる「侵略」議論は後回しにして(松本健一は、そういう風に切り離しすことを批判していますが)、後者を先にとりあげると、西南戦争での西郷について、竹内は、「進歩史家」つまり左翼系の史家は「西郷に対する評価は冷た」く、彼を反動家と見なすのに対して、「右翼」は「西郷というシンボルを貴重視し、ときに絶対化する」、と対比します。そして、ただ反動家だと切り捨てるのは不毛だが、「西郷を反革命と見るか、永久革命のシンボルと見るかは、簡単には片付かぬ、議論のある問題だろう」と、保留して終わります。
 あくまで雑談のつもりなのに、えらく大変なことになってしまって後悔していますが、ここで「反革命」「永久革命」という言葉が出ます。またすぐ前で竹内は大川周明を引きますが、そこでは、西南戦争を反動とする一般の見方とは全く逆に、北一輝はそれを「維新革命」の逆転または非徹底に対する「第二革命」とした、ということばがあります。
 何しろ竹内論文が書かれたのは、松本健一がその時代をいうのに谷川雁毛沢東を引き合いに出す時代ですから、例えば「永久革命」「第二革命」といったことばが喚起するものは、現在とは比べものにならなかった筈ですが、ここでは一切広げません。しかし、西郷は「反革命」か「永久革命」かという竹内の議論の建て方の前提には、維新は「近代革命」だ、という前提があるわけで、そのことについてだけ、少し付記しておきたいと思います。