アジアあるいは義侠について12:革命

 いかに歴史ガールが沖田総司に熱を入れても、やはり明治維新は「日本の夜明け」であり、ヒーローは「坂本龍馬」だという風潮がありますが、龍馬のヒーロー化に責任のある司馬遼太郎も、戊辰戦争は無駄な暴力だったといっています。前に触れた安部龍太郎氏だけでなく、昨今「維新を疑え」という声はそれほど珍しいことではありません。先年、戊辰戦争会津側から描いたドラマも放映されたようですし、最近も『明治維新150周年、何がめでたい』という痛快な題名の、半藤一利氏の新著が出たようです。まだ目にしてはいないのですが、さしあたりこちらで、氏が自著について語ったインタビューを読むことができます。
 
 薩長政府は、自分たちを正当化するためにも、権謀術数と暴力で勝ち取った政権を、「維新」の美名で飾りたかったのではないでしょうか。自分たちのやった革命が間違ったものではなかったとする、薩長政府のプロパガンダのひとつだといっていいでしょう。
 
 本来は官軍も賊軍もないのです。とにかく薩長が無理無体に会津藩庄内藩に戦争を仕掛けたわけです。いまの言葉で言えば侵略戦争です。
 
 私は、戊辰戦争はしなくてもいい戦争だったと考えています。
 
 ただ、失礼ながら長岡の半藤氏も下町の武芸者内田樹氏も、「瓦解」をもたらした薩長軍には恨みがある筈ですが、彼らが連れてきて江戸城に据えた天皇には甘い所があるのは致し方ありません。
 また横道にそれかけましたが、話は「革命」についてでした。
 西郷は反動であり西南戦争は「反革命」であったのでしょうか、それとも、西南戦争は「第二革命」で西郷は「永久革命「」論者だったのでしょうか。竹内の時代なら、第二革命といえば十月革命孫文のそれを、永久革命といえばトロツキーのそれを連想したでしょうが、しかしそもそも「革命」とは何なのでしょうか。もちろん私は、歴史探偵半藤氏のような史料を博覧強記する熱意や力は全くもたず、松本健一の西郷論のように流された島にまで行って体感を共にするようなフットワークも全くなくて、ただただ無精者ですので、何度もいうように、以下もまた雑談ですが。
 「革命」といえば、普通は、蜂起して圧政権力を打倒し新権力を樹立することだ、というように思われています。しかし、それではただの権力奪取であって、あるいはまだコトの半分であって、「革命」の成就とはいきません。
 半藤氏の上文をもう一度、アンダーラインを引きながら引用します。
 「薩長政府は、自分たちを正当化するためにも、権謀術数と暴力で勝ち取った政権を、「維新」の美名で飾りたかったのではないでしょうか。自分たちのやった革命が間違ったものではなかったとする薩長政府のプロパガンダのひとつだといっていいでしょう。」
 どんな革命でも、「権謀術数と暴力」で勝った者らが新政権を樹立するのがクライマックスですが、そこまではコトの半分で、重要なのは、なし遂げた暴力的な権力奪取が「間違ったものではなかった」と「自分たちを正当化する」コトです。これを欠いては逆賊暴徒に過ぎません。ではその正当化はどうすればいいのでしょうか。
 例えばジャンヌ・ダルクは、シャルル(7世)を何とかランスに行かせて大司教から戴冠を受けさせようとします。天に在す神(の代理人)が戴冠することで、地上の支配権が「正当化」されるわけです。とはいえ、それは「神」の絶対権威が存在する限りのことです。
 もともと「革命」という語の発祥地である中国には、キリストの神のような存在はありませんが、どことなく天帝がいて、あるいは天があって、そこから命が下る。で、その「天命が革(あらたま)まる」のが「革命」です。しかしそこでは、ランス大司教とかローマ法王といった、具体的な天命の「代理人」はいませんので、ではどうして天命が革まったことを確認するのかといえば、それは人心なんですね。徳を失って人心が離れるのは「天命が尽きた」からであり、天命が尽きた権力を倒すことは「簒奪」ではなく天命に沿った行為である。というわけで、成立した新政権は、天が「姓を易(か)え命を革(あらた)め」のだと「正当化」される。注意すべきは、人心が革命を起こしたり正当化したりするのではないということです。人心はいわば天命の交替を示す指標現象ですね。桐一葉散って天下の秋を知るのと同じように、人心の離反が革命の秋を示す、ということです。
 対して日本では、天の子孫(天孫)がじかに権力を握って行使するという神話で天皇権力が正統化されますので、天命の革わりようがありません。とはいっても、実際には皇族や親族内の権力争いや外威政治などでごちゃごちゃし、さらに途中からは皇統とは関係ない人物が権力を握ったりしますが、落ちぶれても天孫天皇が、彼らを太閤とか将軍とかに任命することで、天孫の認証が「正当化」になるという形式は続きます。
 ということですが、どうしてこんな中学生のような話をしたかといいますと、明治維新の「革命」性が問題だからです。