アジアあるいは義侠について17:靖国

 読み返したりもしていませんので、誤りもあり矛盾もあるでしょうが、責任はとれませんので悪しからずお許しください。たまたま竹内好が最後に引き合いに出していましたので、少し西郷に付き合い過ぎました。
 といいながら、横道をもひとつだけ。
 来年の靖国神社創立百五十年に際して、西郷や幕府軍も合祀しようという動きがあるようで、宮司は何と徳川慶喜の子孫、かなりの国会議員も賛成し、しかし反対の動きもあって、もめているようですね。(ここかしこ)。結局、どっちもどっちということですな。東条英機の次に西郷隆盛。となると、次は野中四郎そうなると北一輝も、となるのでしょうか。まさか。
 西郷は永久革命だったのか反革命だったのか、それが謎だそうですが、しかし、いわゆる戊辰戦争前後の権力変化が何らかの「革命」であるなら、西郷にとっての「革命」とは、薩摩の下級藩士天皇の参議になったことであり、一方、名もない農民にとってのそれは、年貢が地租となり地代となることでした。(今日はこれおで)