アジアあるいは義侠について19:原理としてのアジア

 そこで前に書いていたことを思い出さないといけないのですが、どうせろくなことしか書いていませんし、面倒なので、読み返しません。以下、つながるかつながらないか分かりませんが、悪しからずお許し下さい。
 さて、松本健一は、自分が以前書いたものを引用しながら、西郷と竹内について、こんないい方をしています。
 「西郷隆盛派は、ナショナリズム原理主義的に引き取ろうとするものだった。つまり日本(=アジア)という文明的「原理」の地点から、西欧=近代を否定しようとしたのが、西郷だったのである」。
 ところが竹内は、「アジア主義のもつ原理主義的な側面」、に気がついていなかった。いい換えれば、「日本のナショナリズムと、より原理主義的なアジア主義が区別されていない」のだ、と。
 なぜ、彼は「日本(=アジア)」という書き方をしているのでしょうか。それは、1877年の西郷(どうして征韓論ではなく西南戦争の年が指定されているのか分かりませんが、結局「死ぬまで」ということになります)にとっては、日本とアジアは、西洋の「力」の文明によって「奪われつつある」という意味で「同義語」だったからだ、と松本はいいます。
 もしも「同じだ」「同義だ」ということになるなら、確かに西郷には、<日本が(自らと同じ)アジアと>共に連帯して西洋に抵抗するというモメントはあっても、「21カ条要求」以後の連中のように、<日本が(自らとは異なる)アジアを>どうこうするというような立場には、原理的になかった、ということになりますね。
 では、そのような「日本(=アジア)という文明的「原理」」とはどういうものでしょうか。
 松本は、『南洲翁遺訓』から、文を引きます。完全引用は面倒なので、適当にしますが、
 「文明とは、道の普く行わるを賛称せる言にして」、西洋的なベンリ、キレイ、ゼイタクなどとは異なるものだ。「真の文明ならば、未開の国に対しては、仁愛を本として、懇々節湯して開明に導くべき」であって、西洋のように無理に「力」で動かそうというようなやり方は、「文明」どころか「野蛮」なのだ。
 確かにここには、<西洋文明vs野蛮アジア>という福沢的見取り図が、<日本(=アジア)真の文明vs野蛮西洋>と、逆転されています。
 で、端折っていえば、この「仁愛」を、松本は、今のことばで「愛」といい換えます。(続く)