アジアあるいは義侠について27:固陋

 (C)「このようなインターナショナル仁政主義、王道思想の教養のつよい影響下にあった明治日本人が〜」
 曖昧にされていますが、この「明治日本人」の代表はもちろん西郷です。その代表的「明治日本人」西郷は、古代孔孟の「仁政主義、王道思想」という政治信念を貫こうとしています。岩倉や大久保らは彼を、「自分の考えや古い習慣にかたくなに執着して新しい時代に合った判断ができない」人物と評したでしょうが、西郷は、「おいの信じる道を変えることなど出来もさん」といったでしょう。ちなみに上記は、広辞苑の「頑迷固陋」の説明文です。それでも西郷は、「おいどんば頑迷固陋ちゅっとか。そいならそいでよか」、とでもいったでしょう。いや薩摩弁は全く怪しくて、薩摩の人には失礼しますが。
 ところで、孔孟が説くのは「王」の「仁政」です。政事は道を知る「王が行う」ものであって、民は鼓腹撃壌、知らず関わらずが理想。つまり、民のためにする「良き専制政治」です。
 この点は西郷だけでなく、有司「専制」でやろうというのが政権担当者の強い共通認識であって、またまた横道ながら例えば福沢諭吉は、在野ながら、征韓論の前年72(明治5)年にスタートした公教育制度「学制」の前文を書いていますが、タイトルは「学制仰出書」。つまり、「人の上に人を作らず」は建前で、畏くも「上」天皇が「下々」に「仰せ出された」有り難い教育制度という意味です。当然、義務教育といっても、「国民には学習する権利があり、政府にはそれを保証する義務がある」という意味ではなくて、兵役の義務と同じく教育を受けるのは「臣民の義務」。学校にやらないのは保護者の「落度」だと福沢は書きます。もちろん彼もまた、未だ愚かな民に政治を左右させる国会開設は時期尚早で、当面は有司の「専制」しかないという考えでした。
 くどいですが、西郷は「頑迷固陋」といわれようと孔孟由来の信念を頑なにまもり、民の声に従って政治を動かすことなく当面「専制」を守ろうとしながら、欧米かぶれの覇道に進もうとする政府主流派の前に孤立しています。そのとき、今なお孔孟の「よき専制政治」思想を「頑迷固陋」に守り通そうとしている隣国があれば、西郷は当然その国を崇敬し、孔孟の道を忘れた岩倉大久保らを懇々説諭してほしいと願うでしょう。
 ところが。葦津はいいます。「〜明治日本人が、頑迷固陋な専制統治下の清国人や韓国人の悲惨な状況を見たときに(行ったことはないのですからTVでみたのでしょう)、清韓両国の主権確立こそが国際政治の第一義だと考えなかった」のは当然だ、と。
 ああ、もう面倒になりましたが、とにかく大筋は一本。こういうことです。
 「西郷が孔孟の道に固陋するのはよいが、清韓が孔孟の道に固陋するのはけしからん。日本の有司専制はよいが、清韓の専制はけしからん。西郷らが中韓の主権を第一義に考えないのは、当然で正しい」。