アジアあるいは義侠について26:御稜威は遍く宇内に及ぶ

 後は分かっていますので、葦津とかいう論客などに、いや失礼、葦津という論客に、これ以上付き合う義理はないのですが、どうせ遊びですから、一応葦津文の続きを見ておきましょう。
 (C)「このようなインターナショナル仁政主義、王道思想の教養のつよい影響下にあった明治日本人が〜」
 おっと、ストップ。
 「インターナショナル仁政主義、王道思想」という表現が、ここでも使われています。
 前回も書きましたが、19、20世紀に現れた語である「インターナショナル」は、「ナショナル」のインターであり相対化であり止揚であって、そこに「王」の観念は入っていません。一方、古代の「王」が諸族の枠を超えて版図を広げるとすれば、それは自らの相対化ではなく、のっぺらぼうな支配「拡大」です(明治の話をしていたので、漱石も御用達の「のっぺら坊」が出現してしまいました)。もっともそういった古代帝国主義は、何も東洋の専売特許ではありませんが。
 ここで葦津が問題にしているのは、あくまで東洋古代的な「王の仁政」「王の政道」についてであって、東洋古代的な「王」の政道には自らの版図を限定せずに広げてゆくべき契機がある、といいたいわけです。しかも、これは重要なポイントですが、孔孟時代の中華政道の拡大という話を、何の断りもなしに、そのままわが神国政治の拡大に移し替えます。つまりわが「王の御稜威が世界に遍く及ぶべきこと」を表したい、と。国粋語で、それをピッタリ表す語が「八紘一宇」です。
 ところが、国粋の人葦津は、国粋語である「八紘一宇」を避けて、カタカナ西洋語と孔孟中国漢語を混ぜ合わせた「インターナショナル仁政主義」なんていう気色の悪い用語を使います。意図的な脱臭イメージアップ作戦に座布団一枚。(昨日の繰り返しの上に短くてすみません。続きは明日)