<変>な広告(9):尊き邊りには

 任命した大臣を自殺に追い込んで自らの防波堤にし、相次ぐ国会強行突破の強引さで支持率回復を目論む。しかし、年金問題にしても、ぐずぐずしてる連中を押し切ってすぐに<救済>法案を通そうというのだから、いいんじゃないの・・・・てなことになるのだろうなあ。やってられんわ。
 さて、今回の広告は、イラストの<変>ではない。コピーである(1914.9.30.東京朝日)。説明の必要はないと思うが、読みにくいので、書き下しておく(新字体)。
 9月20日時事新報謹載の記事に依れば
 畏くも
 尊き辺りには 内国製の御化粧品を 召させ給ふ事明か也
 茲に謹みて其の光栄を録し奉る
 ○日本名物「クラブ白粉」畏き辺御買上の光栄を辱うす

 以下同様に、歯磨や洗粉、その他化粧品の御用命や御買上の「光栄を辱(かたじけな)うす」と並べられている。
 宮家については「伏見宮家」などと書かれているが、「尊き邊(辺)り」は、「畏くも尊き辺り」であって、それ以上書くことは畏れ多いのである。皇太子妃バッシング記事などが横行する昨今とはもちろん違う。
 蛇足を少しだけ。「クラブ」は、中山太陽堂の製造発売する化粧品の商標で、平尾賛平商店の「レート」との間で激しい販売宣伝競争を繰り広げ、「東のレート、西のクラブ」と称された。
 この広告では、「尊き辺り」が「クラブ」のような「内国製の御化粧品」を使っているということをポイントにしている。そもそも皇室は、維新期に「復古」を背負って表舞台に登場したのであるが、しかしすぐに鹿鳴館的「開化」の広告塔に切り替わり、公式の場では洋装で椅子に座り、あるいは洋軍装で白馬にまたがってみせた。化粧品についても、眉剃りお歯黒を率先してやめたのは「尊き辺り」であって、当然その「辺り」は最初は「舶来品」を使っていたであろうし、いまも使っていると思われていたのであろう。