教科書検定:続き

 沖縄での大集会が終わると、もうマスコミは無視。ようやく今日の新聞の予算委員会の抄録記事の中に、やりとりを見つけた。
 赤嶺氏(共)「〜検定調査審議会では、議論はあったのか。」
 文科相「専門官が出した意見書について、審議会に諮って最終的に決めた。」
 文科省局長「(調査官の意見書の)指摘箇所には、委員から特段の異論はなかった。」
 赤嶺氏「今回の検定意見は、文科省の一役人が自分の考えで意見を作り、沖縄戦を体験した県民の検証にも堪えられない。撤回するべきだ。」
 文科相「検定制度は時の政府が介入できない仕組みであり、これを守ることも大事だ。その中で、私自身やれることがあるかどうか考えてみたい。」

 抄録なので前後は分からないが、少なくともこの記事の限りでは、問題は、やはり「指摘箇所」に終始し、実質的に「文科省の一役人が自分の考えで」作った意見である「指摘箇所」の修正意見を「撤回すべきだ」という抗議に対して、「介入はできないが考えてみたい」と応える、といういうやりとりになっている。
 「文科省の一役人」の意見が議論もなく審議会意見となって全国の教科書を縛ることになるというシステムでいいのか。「県民の検証に堪えない」ような意見を黙認してしまう審議会の委員は、どういった人物で、どこで選任され誰が任命したのか、罷免しないのか。
 そういった質問は実際なかったのか、マスコミが無視したのか、それは分からない。また、赤嶺氏は特に、沖縄戦をめぐる「指摘箇所」に我慢ができないのであろうことは理解できる。が、ともあれ、議会でもマスコミでも、問題が「指摘箇所」だけに留まるなら、大臣も呑気でいられるわけである。「介入はできないが考えてみたい」。