白洲次郎という人(8)

 *W=(次郎は)「〜カントリー・ジェントルマンを自称」。
 *W=「gentleはラテン語の"gentils"に由来する。"gentils"はもともと「同じゲンス(氏族:Gens)に属する」という意味であるが、そこから転じて特に高貴な血筋や名門一族といった意味合いで使われる。つまり"gentleman"とは「高貴な人物」といった意味合いである」。
 *W=「口癖は「バカヤロー」。権力を笠に着て理不尽をはたらく者には容赦ない怒りをこめた「バカヤロー」を発した」。
 ここに、多分、白洲ブームの秘密の一端があるのだろうと思われます。自らを「ジェントルマン(高貴な人物)」と<自称>する人物が発する「バカヤロー」は、間違っても、理不尽な権力に虐げられた者が悔しく飲み込まざるを得ない「反権力」の言葉ではありません。庶民が警察署で署長に「バカヤロー」といえば逮捕され、会社で社長に「バカヤロー」といえば馘首です。しかし、ゴルフ場へ来た限りでは、署長も社長も、名門倶楽部の理事長に従わねばなりません。白洲は、その場の上位権力者という安全な高みから、「バカヤロー」と怒鳴りつけるのです。
 だが庶民は、とにかく社長が怒鳴られるのを見て溜飲をさげる。つまり、理不尽な権力者をこらしめる、より上位の権力者、水戸黄門ですね。確かに黄門様は「カッコいい」。前にもいいましたが、私ももちろん、白洲のカッコよさを否定はしません。高みからであろうと、理不尽な社長が罵倒されるのを見て、スカッとする人が多いでしょう。
 ところが、そのようにいうと、白洲ファンに叱られるかもしれません。白洲は、いつも高みから「バカヤロー」といったのではない。「日本中が占領軍に対して卑屈であった時代」(私はそうは思っていませんが)、ただひとり、白洲はGHQにさえ敢然と楯突いたのだ、と。
  *W= 「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」(Although we were defeated in war, we didn't become slaves.)」
 「カッコいい」ですね。白洲の誇りある「侍」魂の表れとして賞賛される言葉です。だが、これもまた、まさに貴族のことばです。
 何という映画か忘れましたが、第一次大戦で捕虜となった貴族将校が、将校クラブで相手国の将校と、共通する姻戚関係を話題に歓談します。もともと「スポーツ」は貴族のものですが、将校である貴族にとって、戦争は大がかりなスポーツに他なりません(逆にいえば、スポーツは小型の戦争)。近代軍隊でも、将官の意識は同じです。白洲のいったとされるような言葉は、敗戦国の上級外交担当官と戦勝国の上級将官が、つまり「指導者」同士が、同じ席について話し合う場面で発言できる言葉です。赤紙一枚で徴兵され、将官の命令で泥沼の中を<奴隷>のように殺し合いをさせられた「兵」は、生き残って焼け跡に帰っては、<家畜>のように頭からDDTをかけられ、身を売る以外生きる術のない女性たちは、「良家の子女」を護るために儲けられた特別地区で、「戦争に敗けるとは<奴隷>になることだ」、と思い知らされます。
 「朕はたらふく喰っとるぞ、汝臣民餓えて死ね」。高貴な人、富裕な人は、もちろん奴隷的境遇に墜ちるわけがありません。
 ま、しかし、「負けたのであって奴隷になったのではない」というのは、「高貴な人物」と自認し気の強さと抜群の英語力と切り返しのできる頭脳廻転を吉田から買われた、白洲でなくてはいえない台詞でしょう。素直に、「カッコいい」といっておきましょう。ただし、ほどほどに。