白洲次郎という人(7)

 [1,2回のつもりが、ムダに長いですねえ(^_^;)]
 イギリス大使時代に吉田は白洲と知り合いますが、気があった二人は、大使館の地下室で、喧嘩のように互いに罵倒し合いながらビリヤードを楽しんでいたそうです。生まれた時からの超富裕。それを当然と思わせる身のこなし。傍若無人高飛車な態度。オックスフォード以来の親友が貴族で、結婚したのも貴族の娘、親交があった近衛文麿も超貴族。そんな白洲に出会った時から、吉田は彼に、一般庶民を見下すべき種族に属しているという同類感を見たのでしょう。
 ちなみに、「見下す」ということと、「下の者にやさしい」ということは矛盾しません。
 どういうわけか、白洲には、ゴルフ場でのエピソードが多いようです。
 中学生の時から超高級外車を乗り回していた白洲は、超高級スポーツであったゴルフにも早くから親しみ、そして晩年、名門ゴルフクラブの理事長になります。
  *W=「白洲がゴルフを始めたのは、本人によると14、5歳の時からで(あった)」
  *W=「昭和51年(1976年)、軽井沢ゴルフ倶楽部の常任理事に就任」。「1982年(昭和57年)、同倶楽部理事長に就任する」
 今はともかく、もともとは貴族や富豪など上流階級のスポーツであったゴルフは、格式とマナーを何より重視します。おそらく白洲にとって、当時の日本でゴルフをすることは、超高級車を乗り回すのと同様に、自らを上流階級として意識することでもあったでしょう。もちろん、プレーヤーと、彼らのバッグを持って従うだけでプレーすることは決してできない庶民階級との間には、厳然たる差があり、その「差」を体現すべきものこそマナーです。マナーの悪い者は、ゴルフにふさわしい上流階級の資格がない「バカヤロー」に他なりません。
 ということで、理事長白洲は、プレーヤーに対して、大変厳しかったようです。
  *W=「次郎は相手の地位・身分などに臆することなく自らの「プリンシプル」や矜恃に反するものには容赦ない態度で臨んだ〜」。「メンバーは皆平等にビジターを制限し、マナーにことのほか厳しく「プレイ・ファスト」を徹底させた」
 先に触れた田中総理事件のエピソードもそのひとつですが、同様の話がいくつも残されています。
  *W=「どのエピソードにも「バカヤロー」の怒鳴り声が聞こえてくるようだ。マナーの悪い客には誰かまわず雷を落とした。
 こういうところで、白洲を「カッコいい」と思う人が少なくないそうですが、教室で生徒を罵倒する教師とかグラウンドで部員を罵倒する監督とか、同じような人はいくらでもいます。もちろん彼らが怒鳴るのも、ルールに違反したり愚図だったりする生徒や部員に対してですが、そういう教師は生徒を対等な存在とは思っていません。
 「何しろあの人は、ゴルフを生んだイギリスの貴族と対等につき合えるのは、自分の他にはいないと思っていましたからね。「近頃はマナーも知らん連中までもがクラブにやってくる」と、いつも怒ってましたよ。もちろん、大臣であろうと社長であろうと、あの人にとっては、所詮成りあがりの平民ですからね。そんなことで臆するような人じゃあありません。気にくわない客には、誰彼なく怒鳴りつけていましたね」。
 「もちろん、従業員に対しても、ワンマンでした。プレーヤーでも従業員でも、自分の思うように、おとなしく真面目にプレーしたり働いたりしている者は大事にしましたがね。思うようにならない者には厳しかったですね」。
  *W=「自らの「プリンシプル」や矜恃に反するものには容赦ない態度で臨んだ〜」。「しかし、マナーを守る客には礼儀正しく、一生懸命働く者には優しかった」。
  *W=「また下位の者には寛大で心遣いを欠かさなかった」。「キャディさんたちに思い出話を聞いたところ、「本当に優しい方だった」と涙ぐんでいたという」。
 「そういう人たちは、近所のパートの人だったりしますからね。だから従業員の中でも「下位の人」なんですよ。これは、ちょっとしたまともな社長さんとかなら誰でも同じでしょうが、例えば、ロビーにゴミが落ちていたら、どうしますか。庶務課長か誰かを呼びつけて叱るでしょう。社長ともあろう者が、掃除夫にいちいち掃除の仕方を指示をしたり叱ったりしませんよ。身分にかかわります。社長が掃除夫に声をかける時は、「ごくろうさん」というだけであってね。で、掃除夫の側から見れば、身分が余りにも違う社長、大変厳しいワンマン社長から、「いつもごくろうさん」と声をかけてもらった、というだけで感激します。「ワンマン大社長が誕生日を覚えていてちょっとした物をくれたと大感激の運転手」というようなエピソードは、社長伝の類によく転がっていますよ」。