白洲次郎という人(12)

  (長い。終わらない。もう、やけくそですね。)
 「よく覚えていますよ。あの頃私たちは、毎日のように会っていましたから。シューレンっていってましたが、正式には何ていいましたっけね? 彼はそこの担当官でした。
 確かに彼は、他の日本人とは、違っていましたね。私は准将付きの見習士官でしたから、直接話をするよりは、傍で聞いていることの方が多かったですが。
 どこが違っていたか、ですか? それは、何というかプライドが高いというか。私には、インフェリオティコンプレックスの裏返しのように感じられましたが、とにかくそういうところがありましたね。
 それに、何といっても、他の日本人と違っていたのは、英語が上手というか話し方が達者だったことですね。准将もいつもそのことに感心していましたよ。「私なんかより、ずっときちんとしたクイーンズイングリッシュだなあ」、と。それで私が、ミスターシラスはケンブリッジを出ているそうですよ、と教えますと、「なるほど、ホンモノのオックスブリッジか。それじゃ敵わないや」、と笑っていましたよ。
 私ですか? 私は差別を見て育ちましたからね。アメリカの人種差別もイギリスの階級差別も、当時から大嫌いで、もちろんオックスブリッジなんて○○○○と思っていましたよ(不適切語のため伏せ字とします)
 え? これを読めとおっしゃるんですか。ちょっと待ってください。」
  Wikipedia=「GHQ/SCAP民政局長のホイットニー准将に英語が上手いと言われ「あなたももう少し勉強すれば上手くなる」(Maybe your English will improve, too, if you study a little harder)と白洲が返答した有名なエピソードであるがこれは単に次郎の英語が日本人ばなれして上手だったので、ホイットニーにやり返したと言う事では無い。このエピソードには以下の背景がある。
 イギリス英語にはオックスフォード大学とケンブリッジ大学の学生・教員・出身者のみが喋る独特の訛があり、オックスブリッジアクセントと呼ばれる(そして階級社会のイギリスでは、オックスブリッジアクセントを喋る者は上流階級としてあらゆる場所で然るべき待遇を受ける)。ケンブリッジ出身の白洲の喋る英語は当然、オックスブリッジアクセントであった。一方、アメリカの大学とオックスブリッジとの関係であるがアメリカで名門とされる大学群であるアイビーリーグですらオックスブリッジを手本に創立された。そしてホイットニーは、一般市民に広く門戸を開放した事で有名なジョージワシントン大学出身である。つまりこれは、
  1. 米国人の出自、 2. ホイットニーの学歴、 3. オックスブリッジアクセントを知らず、あろうことか「英語が上手い」と褒めたホイットニーの無教養ぶり
 の3つを揶揄する痛烈な皮肉である。次郎の「もう少し勉強」と言う言葉は2に掛かると「あなたも、もう少し勉強すればオックスブリッジに入学出来てオックスブリッジアクセントを喋る資格を所有できる」、3に掛かると「あなたももう少し勉強すればオックスブリッジアクセントの事が解って、そのような失礼な事を発言しなくなる」と解釈できる。」

 「ハッハッハ、これは面白いジョークですねえ。うまくできていますよ。え?ジョークじゃない? いや、ジョークでしょう。
 それにしても、うまくできてますねえ。これに似たことはあってもおかしくないと思わせますね。いかにもあの人らしいエピソードですよ。准将の方は、「英語が上手ですねえ・・・きちんとしたオックスブリッジで、私なんか、とても真似できませんよ」・・・とでもいうつもりだったのに、間髪を与えず、「あなたも、ケンブリッジかオックスフォードで勉強すれば、もう少し上手な英語が話せるようになりますよ」、ですか。ハッハッハ。あの人ならいかにもいいそうな、うまくできたジョークですねえ。
 でもこれ、万一ほんとの実話なら、大人げないというか、マナーもユーモアもない応対ですね。彼のインフェリオティコンプレックスに触れたのでしょう。もちろん准将は大人ですから、笑顔で、「せいぜい努力しましょう」、とでもいったでしょうがね。
 え?何ですか? 私の日本語が上手だとおっしゃるんですか? ありがとうございます。いえ、私はGHQでの体験から日米関係史に興味をもちましてね。途中退役して東京大学へ留学したんですよ。博士号をとるまで何年いましたかねえ。それで少しは話せるようになりました。でも、やっぱり文化背景も違えば生活の重さも違いますから、どこまでいっても外国人の日本語ですよ。
 そういえば、今はそんなこともないですが、確かに昔は、私もよくいわれましたね。例えば、大阪で買い物した時なんかには、「へ、おおきに。そやかて、あんさん、日本語お上手でんなあ」、とかね(笑)。あ、そういう時に切り返せばよかったですねえ。「あなたも東大を出れば、そんなベタな関西弁じゃなく、もう少し上品な日本語を話せますよ」、とね。ハッハッハ、いやいや、ジョークですよ、もちろん。そんなこという訳ないじゃないですか。馬鹿ですよ、それじゃ。「日本語お上手でんなあ」といわれれば、「ありがとう」とか、「おおきに」とか、誰でも普通そういうでしょう。それが普通ですよ(笑)。