白洲次郎という人(3)

 「猪口才な」
 「ムム如何に」
 「そうじゃ、与一を呼べ」
 およそ、人が脚光を浴びて、一見歴史のカギを握るかのように見えるには、<時と場面>というものがあります。例えば、えらく古い話で恐縮ですが、那須与一という人がいます。この人は殆ど記録もなく、生没年や墓さえ確定できないらしいのですが、ところが、例の「屋島の戦い」で平家が扇の的を立てたその<時と場面>にだけ登場し、一躍脚光を浴びて源平史のカギを握ります。といっても、もちろん、那須与一が歴史を動かしたわけではありません。仮に彼がいなくても、あるいは彼が的を射損じていても、平家は滅亡したでしょう。もちろん、脚色次第で、那須与一を主人公にした歴史ドラマは作れますが、<歴史的人物>はあくまで義経であって、与一は、弓取りの腕故に、ある時期だけ義経に呼び出されて、使われたのです。
 白洲という人もまた、政治家でもなく官僚でもなく外交官でもありませんが、にもかかわらず、確かにある<時と場面>に登場し、どういう脚色か「その時歴史が動いた」という番組の中心人物として扱われたりします。しかし、彼がいなくても、あるいは彼が従順なだけの通訳だったとしても、占領史の大筋には何の変更もなかったでしょう。彼もまた、ある<歴史的人物>によって、ある時期だけ呼び出され、使われたのでした。
 「ところで、先日お話の件ですが」
 「ああ、あれはもういい」
 「と申されますと」
 「いい奴を思いついた」
 「はあ」
 「白洲だ」
 「え〜と、そういう名前の方がおりましたでしょうか」
 「あ、君は知らんな。省内の者ではない。民間人だ」
 「大丈夫でしょうか。英語でやりとりできますでしょうか」
 「できるなんてもんじゃない。イギリス人なみだ」
 「それは頼もしいですね。私なども、英語を学ぼうとすると「敵性語」といわれて、まともに勉強できませんでした」
 「だからダメななんだ。アメリカなんか見ろ。戦争になると、逆に、軍でもアーミーメソッドという学習法まで開発して、短期に日本語のできる情報将校を大量に養成したらしいじゃないか」
 「はあ、そうなんですか。確かに、今となっては、英語の達者な人材が少ないのが問題ですね。英語でペラペラやられると、とうてい対抗できません」
 「だが、奴なら大丈夫だ。何しろケンブリッジだからな」
 「ケンブリッジを出てるのですか。それはすごいですね。でも、英語はできるとしても、相手は嵩にかかってきますから。厳しい仕事になります」
 「ところが、あいつは大丈夫なんだ」
 「と申されますと」
 「気の強い奴でね。何しろ中学時代から手の付けられない乱暴者で、どうしようもないからイギリスへ留学させられた」→*
 「はあ」
 「不良というのは、親や教師のような<上から言葉>に滅法強い」
 「GHQにも対抗できますか」
 「英語と気の強さじゃ負けないね」
 「でも、逆に大丈夫なんでしょうか。怒らせてしまったりしては困るでしょう」
 「大丈夫だろう。あいつは自分じゃ紳士だと思ってるみたいだが、俺にいわせると、気の強いガキだがね。しかい、ホイットニーなんかはほんとの紳士だから、つまらんことでは怒らない」
 「それでも、そんな民間人を起用して、もし何かありますと」
 「だから君は分かっていないっていうんだ。万一何かあった時、キャリアのあるのを当てておくと、いろんな意味で大事になる。その点あいつなら、顧問とか参与とか適当な名前をつけておけば、どうとでもできる。イザという時も、責任を被せて切りやすい」
 「なるほど、ま、そうですね」
 「気の強いのは強いなりに、人は使いようだよ」
 「はあ。でもその気の強さで、勝手な行動をしたり反抗したりしないでしょうか」
 「いやいや、奴のような気の強さは、実は心配いらんのさ。気が弱そうにぺこぺこして、実は寝首をかく機会をうかがっているような奴の方がはるかに怖い。だが、あいつはアメリカさんに対しても、われわれに対しても、本質的なところでは<従順>だからな」
 「ということは、もちろんアカとかじゃないわけですね」
 「当たり前田のクラッカーだ」
 「そんなことまでよくご存じで」
 「馬鹿言っちゃいかん。大磯でもテレビは映る」
  *Wikipedia=「神戸一中時代はサッカー部・野球部に所属し手のつけられない乱暴者として知られ、当時すでに高級外国車を乗り回していた」。「神戸一中時代に、宝塚歌劇団に10歳位年上のガールフレンドがいた」。「神戸一中を卒業後、ケンブリッジ大学に留学」。「僕は手のつけられない不良だったから、島流しにされたんだ(ケンブリッジ大学に留学した理由を問われて)」。