白洲次郎という人(11)

 ○ 白洲は、でも、1年半ほどで終連をやめますね。国を背負ってGHQとやりあったっていう、有名な白洲の活躍時期は、案外短いんですね。
 ■ 「国を背負って」? それをいうなら、誰に聞いても吉田でしょう、良かれ悪しかれね。白洲というのは、いうならば吉田が使った駒ですよ。だから、吉田が下野するとやめるんです。その後、吉田は、首相になるとまた白洲を使いますが、29年の暮れに総辞職で引退すると、白洲も、あの時は外務省の顧問ですがね。それをやめます。日付が三日と違わない筈ですよ。
 ○ 白洲は吉田とピッタリ出処進退も共にしていたんですね。やっぱり、吉田の「懐刀」というか「側近として活躍」(W)したってことですか。
 ■ 「側近」? 物は言い様ですがね。今更いうまでもないですが、何といっても、吉田茂っていうのは、5回も内閣を組織した、戦後史に残る大政治家ですよ。あの頃70才前後だった筈です。一方白洲は、当時は確かまだ40そこそこでしょう。金と育ちを別にすれば、官僚でもなく議員でもない、所詮一介の民間人じゃないですか。側近という程のものじゃないですよ。
 大体ね、吉田っていう人は、ご存じのように戦前からの生粋の外務官僚ですからね。政界に入っても、官僚気質が抜けなかったですよ。政党人や民間人は、もうひとつ信用してないというかね。吉田の「側近」を知りたいなら、「吉田学校」とか「吉田一三人衆」とか、メンバーを調べてみなさい、大抵が官僚あがりですわ。
 ○ 確かに、議員でも官僚でもない白洲は、いうならば家老とか配下の将といった存在ではなかったのかもしれませんが、でも、かえって、小姓というか、吉田のすぐ側にいた人だったんじゃないでしょうか。
 ■ 茶坊主とかお庭番ですか。でもそういった意味の腹心だったなら、殿と「一線を画して」動いたなんてことないでしょう。それじゃ裏切り者ですわ。
 あなたのような今の時代の人には想像できないでしょうがね。何しろ占領時代ってのは、何をするにしてもGHQ次第だったんです。例えば後に白洲が関わった貿易だって、GHQ相手にしかできない時代ですから。そういう点では、確かに白洲というのは、吉田にとって、アメリカさん向けに結構使える人材であったでしょう。英語ができた上に、向こうっ気が強く、頭の回転も悪くない。大使館時代からやんちゃ坊主として可愛がっていましたから、気心は知れていますしね。
 でも、吉田の「側近」だったとか、逆に、「国を背負って」吉田「政府とは一線を画して」歴史を動かす何か重要なことをしたとか、そんな人物じゃありませんよ。
 ○ あくまで、主役である吉田が使っていたんだ、とおっしゃりたいんですね。
 ■ そりゃ、白洲という人は、えらくプライドの高い人でしたからね。「俺は吉田に使われているんじゃない、俺は吉田のじいさんとは一線を画してるんだ」、というようなことはいったかもしれませんがね。もし吉田がそれを聞いても、あいつらしいや、と笑っていたでしょう。そういう関係ですよ。
 いや、私も別に白洲を評価していないわけではありませんよ。白洲は、吉田の期待には応えましたよ。最先端の窓口で、占領軍の担当官相手に、あれだけ英語で丁々発止できるのは、他にはいなかったでしょう。語学力だけじゃなくて、気の強さでもね。まあ、そこを買って、やんちゃ坊主を適材適所で使ったのが、吉田の度量ですな。
 ○ つまり白洲は、英語交渉力を買われて窓口的業務に当たったんであって、吉田政府の政策立案に関わったわけではないと。
 ■ 少なくとも終連というのは、窓口機関そのものですからね。
 大体ね、国政とか外交とかいうのは、軽々しいことじゃありませんよ。一国の命運がかかっているわけですから。吉田は「ワンマン」といわれましたが、重要なことは、しかるべき機関や場所できちんと検討し決定しています。もちろんそういった重要な決定については、それに至る会議などの経緯が公文書に残されていますよ。また、その当時は公にならないことでも、政治家や外交官などは回顧録や回想録を書く人が多いですからね。もちろん吉田茂の回想録なんか、戦後史の第一級の資料ですわ。
 ところが、白洲に関する資料はほとんどない。そのことひとつとっても、白洲が戦後史において果たした役割の度合いは、もって知るべしでしょう。まあ、もうひとつ、資料に出ないのは闇の活動ですがね。政界のラスプーチンについて、それはいわないでおきましょう。
 ○ まあ確かに、白洲に関しては、文献資料は少ないようで、はるかにエピソードとか伝聞が多いですね。
 ■ 大体エピソードなんて、あてになりませんよ。例えば、吉田についての有名なエピソードがありましょう。組閣作業をしている首相予定者から幹事長になってほしいと要請された吉田が、「私は総理はやれますが、幹事長はやれません」といって断ったというアレですよ。ご存じじゃないですか、有名なエピソードですが。
 ○ すみません。はじめて聞きました。
 ■ ところがですね。これは有名なエピソードだのに、相手が誰かという説が三人もあるんです。エピソードとか思い出話とかいうのは、多かれ少なかれそんなもんです。エピソードで語られる「カッコいい」歴史的人物なんて、立川文庫みたいなものですよ。
 ○ え?談志師匠の噺みたいだっていうことですか?