コロナで資産増

 ドラッグストアにマスクも消毒液も並ぶようになり、不安ながらも出かける家族の姿も増えてきたようですが、職を失ったことで住居を失った人々もたくさんいます。それ以前からネットカフェが住居とか、デリヘル待機部屋が住居とか、だったような人々も。コロナで住む家を失った人々は、どこでどうしているのでしょうか。
 ところが、黒人差別で大規模なデモが起きているアメリカでは、「NY株価が大続伸」だとか。あるシンクタンクの報告書によれば、富裕層の資産総額はコロナ拡大初期から19%増加して3兆5000億ドルに達した、とのこと。いったいどうなっているのでしょうか。・・といいたいところですが、特に不思議でもなく、コロナであろうと何であろうと、何かがあれば、あるいは何もなくても、とにかく格差が拡大してゆくような、そういうシステムになっているようです。

グローバルスタンダード

 有料になってから見ていない「きっこのブログ」ですが、「9月入学がグローバルスタンダードなんて大ウソ」という記事が紹介され、久々にきっこさんのタンカにすっきりしました。恥ずかしいことに、私も、日頃「グローバルスタンダードなんてアメリカンスタンダードに過ぎない」といいながら、9月入学については、世界的に多いのかと思っていました。全く違っているのですね。
 しかし、どうしてこんな簡単な事実を、教育学者は指摘しなかったのでしょうか。あるいは指摘があったにもかかわらず、マスコミは伝えなかったのでしょうか。あるいは、指摘がなかったとしても、記者は調べなかったのでしょうか。
 私ももちろん調べないままでした。「怠惰は従順に等しい」と、スタンダールもいっています。ウソですが。

黒川杯

 「黒川杯」という麻雀会が開かれるらしいというニュースをみました。
 イベント告知サイトをみてみると、確かに「黒川杯」がありました。  
 「法務省刑事局の公式見解によると、テンピン麻雀は問題ないらしいので「黒川基準」によるレート麻雀解禁を祝してテンピン麻雀大会を公然と実施することになりました。場所は新基準の礎を築いてくれた黒川元検事長に敬意を表して検察庁前の路上となる予定です。~時局柄マスク着用での参加をお願いします。開催前に黒川元検事長が賭博容疑で逮捕ないし起訴等された場合は、自らの浅薄さを深く恥じ入り本大会は中止とします。」
 以下、詳しいルールが掲載されています。蛭子能収氏が参加されるのかどうかは分かりませんが、大変真面目で謙虚な大会のようです。
 「桜を見る会」をめぐる憲法学者らの首相背任の告発は、東京地検が不受理にしてしったようですが、「テンピン会」の方は、法務省の公式見解に基づいていますので、告発不受理にはできないでしょう。応援したいと思います。

隣人の消滅

 コロナが、様々な面で、人々の生活をなぎ倒してゆきつつあります。倒産と失業が広がり、たとえいつかコロナが収束しても、もとに戻ることはできないでしょう。というか、戻れないまま倒れる人を踏みつけて、株価がもとに戻った、GDPが戻った、売上が戻った・・・などなどとなってゆくのでしょう。
 それにしても、この間、zoom だ teams だ何々だなどと、コミュニケーション道具を使う(わざるをえない)事態が、驚異的に進んでいます。もちろん、この爆発的な使用で大儲けしている企業があるわけですが。例えば zoom には重大なセユリティ上の脆弱さがあるなどといわれても、使えといわれれば使う他ありません。
 それにしても、声と表情と身体シグナルだけが日常的なコミュニケーションの道具だった時代が何十万年と続き、何千年前から一部で文字が現れても、つい先日電話が現れても、それらは日常生活では補助でしかなかったのでしたが、いまや、デートらしい二人がそれぞれスマホを見ていても、しかも当の二人で line のやりとりをしているとしても、もはや当たり前の光景で話題にもなりません。リアでは「ひきこもり」とか「コミュ障」とかいわれる人が、むしろより多くの知人友人をもっていることもありうるわけで、流行りの「ソーシャルディスタンス」という語も、やがてリア空間を離れるでしょう。
 生活空間とは何をいうのか知りませんが、私のところでも、例えば「隣人」は、とっくの昔に消えています。
 

差別する、ゆえに吾あり

 (承前)10日ほど前に、末尾に(続)と入れたままになっていました。いつものことで、(続)がないままでもいいのですが、思い出したので、少しだけ。
 上野先生が「マッサージ業と同じ」といったからかどうか知りませんが、 最近は「性の商品化」といったことばで問題視するのは、「ゼロから勉強」しないといけない初心者ということのようです。どうも怠慢というか、逃げているだけのように思うのは私の偏見でしょうが、そこに働いたのも、「風俗を差別するのか」という力学だったような気がします。で、マッサージ業だと躱してしまった。(もちろん差別しないという点では間違ってはいません。ただそうなると、身内や友人などが中退の危機を訴えたときに、「時給の高いマッサージ業に就けばいいだけのことじゃないの」、とアドバイスすることになるのでしょうか。一部のフェミニストは、リベラリズムパターナリズムかと悩んでおられるようですが)。
 ただし、(続)としたのは、そのことではありません。
 「大学中退者を救え」といえば、「中退者を差別するのか」といわれます。そこで、普通は、「いやいや、ダルビッシュ氏のように「自由意思」の場合はもちろん問題ありませんが、「意志に反して」中退する場合が問題なのです」と言いわけすることになります。同様に、「自由意思による就業者を差別などしませんが、問題は人身売買や強制です」、とか。
 それはまあその通りでいいのでしょうが、前にも書きましたが、「自由意思」というところからは、「合意」という妖怪が現れるおそれがあります。ゾンビのように繰り返し現れる、「合意だった」「強要ではなかった」という言い逃れはご承知の通り。「困窮で自ら卒業を諦めた」とか、「倒産した家のために進んで中退して就業した」とかも、「自由意思」の「合意」だといえば合意です。あるいはまた、「自由意志」での就業も就業拒否も、つまり他人の「自由意志」がどちらであろうと、それを「偏見だ」ということもできますし、「心からの差別の自由」という問題もあります。
 まあ、その辺は、実際場面では何とか寄り添いながら対応もできるのでしょうけれど。しかし、問題は、さらに厄介かもしれません。
 例えば、被爆や感染から逃れたいと、誰しも切実に思います。この場合、自由意思の余地はありません。それでも、逃れたいという意思は、逃れられない(なかった)人への差別を含んでしまうのか、どうなんでしょうか。差別かどうかを決めるのは「される側」だとすれば、もちろんそれはありうるわけです。
 コロナの初期の頃、陽性と判定されたか検査待ちだったかの男が、待機要請をきかないだけでなく、「俺はコロナだ、感染させてやる」と、飲食店で騒いで、逮捕されたことがありました。もちろん、けしからぬ振る舞いですが、感染というスティグマを負った者は、明らかに避けられ差別されます。そこで、最も端的な差別解消策として、全員を感染させるという行動に出た。そう考えると、一種の原理主義的行動とでもいうべきものだったのかもしれません。
 これ以上、この話を続けると、大変なことになrりそうですのでやめましょう。

抜け目のない間抜け

 私は、どんな物にも格別のこだわりはありませんが、万年筆でも細いのは嫌で、さすがに最近はボールペンですが、ある品名の1.0のものを常用にしています。ということで、近所の店に行ったのですが、入口すぐのところに、不織布マスクの箱が積んでありました。行列もなく、横にはエタノール・ジェルも。
 10万円の申請書類はもちろん、2枚マスクもまだ届きませんが、この状態で届けばアベノマヌケです。
 とはいえ、検察人事介入法案は、ただ延期しただけで、時期を狙っています。間抜けところか抜け目のない連中ですので、油断できません。

批判と寝技

 予想通りというか何というか、岡村氏のような「善人」の場合は、批判者への反論があり、一方、蓮舫氏のような「悪人」では、その批判に反論されます。
 先走り過ぎたので、一応再確認を。
 日頃ネット世界でも「善人」とされているらしい岡村氏が、「この事態で金に困り風俗嬢になる美女が必ず増えるから期待して待とう」と発言。それに対する批判の声が起こり岡村氏が謝罪。ところが、岡村氏を擁護して、「批判者は風俗業を差別している」、という反論が起こります。これが一件。
 一方、少し前、日頃ネット界で何かと「悪人」扱いされる蓮舫氏が、「バイトもできず、学費が続かず大学を続けられない学生がいる。手立てしなければ高卒で終わる」、と政府を批判。すると、「高卒者を差別している」、という反論の声があり、蓮舫氏が謝罪しました。これがもう一件。
 ということで、共に謝った岡村氏と蓮舫氏ですが、その方向は逆を向いているように見えます。しかし、批判があって反論(というより、ただの寝技(寝技差別)ですが)があるという、その構図については、同じことが起こっています。
 ここでは、発言の内容や動機は問題外とします。例えば、「そりゃまあ、売られたとか騙されたとか借金のカタとかそういったこともあるだろうけど、でもこっちが金を払って行くときには、嘘でも、泣く泣くではなくて進んで風俗嬢になった相方に、苦行ではなく本心からサービスしてもらいたい。その上美女ならいうことなしだね」、などと、その種の新聞のその種の頁をみながら岡村擁護に動く「常連客」の心根などは、この際どうでもよろしい。
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 ということで、2件のパターンを合わせてみましょう。 
 例えば、中学生時代に難民キャンプのドキュメンタリーを見て医師を志し、勉強をして医学部に入学したのですが、毎日のバイトがコロナで全部だめになって借金が重なり、もはや中退か風俗かという岐路に追い詰められている、とします。
 もちろん、それは珍しい仮定ではありません。今回のコロナ危機で、多くの大学生がバイトを失い、学費、家賃、公共料金、生活費の支払いに困って、大学を中退せざるを得ない状況に陥っているというニュースは後を絶たちません。OECD加盟国の中で、日本はアメリカやチリに次いで大学の学費が高く、また、多くの学生が奨学金を受給しているが給付ではなく貸与なので、社会人になってから奨学金の返済に追われて自己破産するケースも少なくない、とのこと。
 ということで、中退か風俗かという選択の危機に直面している学生がいたとすれば、何もできない私たちは、たとえ彼女がどちらを選んだにしても、その選択をした後の彼女の幸を密かに祈ることしかできません。
 しかし、もしも私に、何らかの思惑や何らかの心根があった場合には、彼女がどちらを選んでも、彼女を悪く言うことができます。
 「中退します? 志を捨ててでも、とにかく風俗だけはしたくないっていうの? 風俗という仕事を差別するわけね」。
 「中退しません? 風俗してでも、とにかく大学は出なきゃダメっていうの? 高卒者を差別するわけね」。
 岡村、蓮舫、両氏の件についてだけでなく、ネット上では、議論にもならないこの程度のただの寝技(寝技差別)テクニックが、正論顔をして横行したりするわけです。(続く)