批判と寝技

 予想通りというか何というか、岡村氏のような「善人」の場合は、批判者への反論があり、一方、蓮舫氏のような「悪人」では、その批判に反論されます。
 先走り過ぎたので、一応再確認を。
 日頃ネット世界でも「善人」とされているらしい岡村氏が、「この事態で金に困り風俗嬢になる美女が必ず増えるから期待して待とう」と発言。それに対する批判の声が起こり岡村氏が謝罪。ところが、岡村氏を擁護して、「批判者は風俗業を差別している」、という反論が起こります。これが一件。
 一方、少し前、日頃ネット界で何かと「悪人」扱いされる蓮舫氏が、「バイトもできず、学費が続かず大学を続けられない学生がいる。手立てしなければ高卒で終わる」、と政府を批判。すると、「高卒者を差別している」、という反論の声があり、蓮舫氏が謝罪しました。これがもう一件。
 ということで、共に謝った岡村氏と蓮舫氏ですが、その方向は逆を向いているように見えます。しかし、批判があって反論(というより、ただの寝技(寝技差別)ですが)があるという、その構図については、同じことが起こっています。
 ここでは、発言の内容や動機は問題外とします。例えば、「そりゃまあ、売られたとか騙されたとか借金のカタとかそういったこともあるだろうけど、でもこっちが金を払って行くときには、嘘でも、泣く泣くではなくて進んで風俗嬢になった相方に、苦行ではなく本心からサービスしてもらいたい。その上美女ならいうことなしだね」、などと、その種の新聞のその種の頁をみながら岡村擁護に動く「常連客」の心根などは、この際どうでもよろしい。
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 ということで、2件のパターンを合わせてみましょう。 
 例えば、中学生時代に難民キャンプのドキュメンタリーを見て医師を志し、勉強をして医学部に入学したのですが、毎日のバイトがコロナで全部だめになって借金が重なり、もはや中退か風俗かという岐路に追い詰められている、とします。
 もちろん、それは珍しい仮定ではありません。今回のコロナ危機で、多くの大学生がバイトを失い、学費、家賃、公共料金、生活費の支払いに困って、大学を中退せざるを得ない状況に陥っているというニュースは後を絶たちません。OECD加盟国の中で、日本はアメリカやチリに次いで大学の学費が高く、また、多くの学生が奨学金を受給しているが給付ではなく貸与なので、社会人になってから奨学金の返済に追われて自己破産するケースも少なくない、とのこと。
 ということで、中退か風俗かという選択の危機に直面している学生がいたとすれば、何もできない私たちは、たとえ彼女がどちらを選んだにしても、その選択をした後の彼女の幸を密かに祈ることしかできません。
 しかし、もしも私に、何らかの思惑や何らかの心根があった場合には、彼女がどちらを選んでも、彼女を悪く言うことができます。
 「中退します? 志を捨ててでも、とにかく風俗だけはしたくないっていうの? 風俗という仕事を差別するわけね」。
 「中退しません? 風俗してでも、とにかく大学は出なきゃダメっていうの? 高卒者を差別するわけね」。
 岡村、蓮舫、両氏の件についてだけでなく、ネット上では、議論にもならないこの程度のただの寝技(寝技差別)テクニックが、正論顔をして横行したりするわけです。(続く)