1-9:汽車の旅

 「三四郎」が出たついでに、またまた横道に入ってみよう。汽車のことである。
 「女とは京都からの相乗りである。
 駅夫が屋根をどしどし踏んで、上から灯のついたランプをさしこんでゆく。
 三四郎は思い出したように前の停車場(ステーション)で買った弁当を食いだした。」
 この時代の客車は木造で、蒸気機関車に牽引されているだけである。もちろん電気はないので、夜間の照明には、灯油ランプが使われており、夕暮れ時に停車する主要駅で、上記のような作業をしたらしい。ちなみに、10年後の1919(大正8)年に出た芥川龍之介「蜜柑」になると、客車に電灯がついている。電気は車軸に付けた発電機から取ったらしい。
 ただし、車内照明用のランプは電灯に変わっても、手提げ信号や線路工事の照明といった業務用には、灯油のランプ、カンテラが長く使われた。
 さて、客車に灯火のつく時分になったので、三四郎は弁当を食べる。折詰の駅弁は、1889年に姫路駅で発売されたのが最初だそうで、この頃には主要な駅で買えるようになっている。前の駅で、多分窓に来た弁当売りから買ったのだろう三四郎が、その駅弁を食べたのはいいのだが、その後・・・
 「三四郎はからになった弁当の折を力いっぱいに窓からほうり出した。女の窓と三四郎の窓は一軒おきの隣であった。風に逆らってなげた折の蓋が白く舞いもどったように見えた時、三四郎はとんだことをしたのかと気がついて、ふと女の顔を見た。」
 また、こんなシーンもある。
 「(男は、)さんざん食い散らした水蜜桃核子(たね)やら皮やらを、ひとまとめに新聞にくるんで、窓の外へなげ出した。」
 食べ終わった弁当の折を「窓からほうり出し」、食べ散らした果物の種や皮を「窓の外へ投げ出し」ている。
 それだけではない。
 「車が動きだして二分もたったろうと思うころ、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。
 便所に行ったんだなと思いながらしきりに食っている。」
 もちろん偶然だが、客車にトイレがつくようになったのも、折詰の駅弁と同じ1889年からのことだという。けれども、困ったことに、両方とも事後処理のことは考えてはいない。尾籠な話で誠に申し訳けないが、直接落下式でなくなるのは、戦後もずっと後のことである。高速で走りながら捨てたつもりが後の窓に「舞いもどる」のは、弁当の蓋やお茶の飛沫だけではなかったようだ。