漱石 1911年の頃 14:是公と三山2

  天子の命ぞ、吾が讐撃つは、 / 臣民の分ぞ、遠く赴く。
  百里を行けど、敢えて帰らず、 / 千里二千里、勝つことを期す。
  粲たる七斗は、御空のあなた、 / 傲る吾讐、北方にあり。
  戦やまん、吾武揚がらん、 / 傲る吾讐、茲に亡びん。
  瑞穂の国に、瑞穂の国を、 / 守る神あり、八百万神。

 『帝国文学』04.5.に発表された「従軍行」は、もっとずっと長いのですが、第2聯と終わりの部分だけ引いてみました。「讐」はあだ、敵。漱石作です。まとめてしまうと、守る神あり瑞穂の国ぞ天子の命で傲れる敵を千里を行きて撃ちてし止まむ・・・と、まあそんなものですね。何というか、何ともはやな新体詩です。
 もちろん今の眼だけで見てはいけません。漱石は、当時徴兵のない北海道へ戸籍を移していて、真相は分かりませんが徴兵逃れの可能性も高いようですし、いうならば、高度成長期にコピーライターという職業の人々がイケイケドンドンなコマーシャル・コピーを書いたように、これも、自分の真情そっちのけで開戦高揚期に多く作られたイケイケ戦争歌のひとつなのでしょう。
 ついでに、前月の『太陽』に掲載された大塚楠緒子の「進撃の歌」というのも、そのひとつだったようで、漱石三四郎のモデルともいわれる野村伝四に出した手紙04.6.3.で、それに言及しています。
 太陽にある大塚夫人の戦争の新体詩を見よ。無学の老卒が一杯機嫌で作れる阿呆陀羅経の如し。女のくせによせばいいのに。それを思ふと俺の従軍行杯はうまいものだ。
 あんな詩を書いて、あんなというのは内容が戦争宣揚歌だからというのではなく徴兵逃れをしながらでも書けるような「うまいもの」でしかないという意味ですが、しかも自慢までしたことを、せめて後に、若気の至りだったと恥じていてもらいたいものです。
 ちなみに、「女のくせによせばいいのに」「阿呆陀羅経」といわれている大塚楠緒子は、漱石の密かな恋人に擬せられることも多いようですが、この手紙からだけいうのではありませんが、眉唾でしょう。もちろん、近くに美貌才知を兼ね備えた女性がいれば、若い男なら心を惹かれるのは当然でしょうし、多少のやり取りがあるかもしれませんから、その全てを恋といい相手を恋人という程度なら、否定するほどのことではありません。というか、そんなことより、何しろ漱石は大変エライんですね。ファンが多い。で奥方が悪妻で有名ときていますから、どこかに「本当の恋人、本当に愛していた人」がいてほしいということで、嫂とか楠緒子とか、勝手なターゲットを探しては、ファンは幻想図を描くのでしょう。
 ついでに、さらに全くの横道です。世の中には夫を裏切ったり売ったり果ては殺したりするような有名人の妻もゴマンといるのに、ソクラテストルストイ漱石の妻が、特に悪事をしたわけでもなく長年連れ添いながら、世界史上有名な悪妻とされるのは、「悪妻」ということばは、一般の意味で「悪い」妻ということでは必ずしもなくて、「あくさい」というひとまとまりのイメージを表すことばだからなのでしょう。いや、三大悪妻はモーツアルトでしたか。
 ただ、漱石の妻鏡子については、前にもちょっと引用した本人の思い出話や親族の証言などもあって、昨今はむしろ漱石のような変人をよく支えたのではと逆転評価されているようですね。確かに、けしからんのは、いわゆる門人といわれる連中で、毎週の集まりが有名ですが、『猫』が何程かを伝えているとすれば、あれは旦那の家に我が物顔に集まった、高級?幇間の会話みたいなものに読めます。などというと、何しろ実際には匆々たる人々なのですから、いった当方が馬鹿にされますが。それでも、毎週というのは、やはり奥方からすれば大変だったことでしょう。
 「何だぬるいゾ、取り替えろ」「でも今日は皆様お暑うございましょうから」「勝手にくだらん判断をするな。暑くたって寒くたって、ぬるい茶なんか飲めるか。何度いったら分かるんだッ」・・・「何事もぬるいのはいけませんやね、文学も同じでげしょう」「そういう夫子の前月号は何だい、ねえ先生」・・・「すみません奥様。私のお茶の煎れ方が悪かったばっかりに。でも、ほんといけすかない方々でございますねえ」。「およしよ、いつものことなんだから」。
 漱石は、病気かどうかは別として全くひどいDV男で、奥方も確かに良妻でも愛妻でもなかったのでしょうが、何だかんだいっても、二人の間には次々と子どもが産まれています。
 ところがいわゆる門人たちは、全員ではないのでしょうけれど、先生を理解できるのは我々だけだ、先生の癇癪は起こさせる方が悪い、という態度。奥方に散々迷惑をかけ世話にもなりながら、死後まで漱石を囲い込んだまま手放さず、振り返って詫びたり感謝したりするどころか、奥方は稀代の悪妻だったと言いふらし、借りた金さえ返しません。思えば漱石漱石で、作家には何よりインデペンデントが重要だといい、イズムで群れるのはけしからんといいながら、自分のまわりにイズムなく取り巻く群れを許し、すると後に四天王とか何とかいわれる暗黙のランクまでできて、おそらく休むとランクが下がると毎週群れては駄弁を交わします。漱石漱石で、そんな弟子というより幇間たちに、ここへ来る暇があるなら短編のひとつでも書けと叱るどころか、座の中心で脂下がっている始末。まあ人間は弱い生き物ですから、先生先生といわれて悪い気はしなかったのでしょう。
 どうも下らない語調に乗って、つまらないことを書きました。(続く)