「肉まん」か「ニュース」か、それとも

 ドンと音がするので窓から見ると、遠い花火のかけらが消えた。
 このブログで16日に書いたばかりの「段ボール肉まん」事件。実は、その報道自体が「やらせ」だったということで当局の摘発を受け、テレビ局も謝罪したという。ところがそれも素直には受け取ってもらえずに、オリンピックを控えて「段ボール肉まん」はまずいということで、当局がニュースの方を捏造だったことにしてしまったのじゃないか、という勘ぐりもあるみたい。
 そこで私はツテを辿って潜伏中のディレクターA氏を探しだし、電話取材に成功した。何とA氏は、意外にも、潜伏中というのに意気軒昂であった。
 「どうです。見ましたか。すごいでしょう。とにかく、われわれのようなねスタッフ数人のちっぽけなプロダクションで撮ったニュースが、世界中で放映されたんですからね。本望ですわ。
 え? ほんとに捏造だったのかって? あなたねえ、真実か捏造かなんて、そんなことは本質的な問題じゃないでしょう。大体ですよ。ニュースというのは<起こる>んじゃないんです。人々の起こってほしいとか、起こるだろうとかいう思いがニュースを<作り出す>んですから。
 昔、オーソン・ウェルズって男が、ラジオのドラマで、「火星人襲来!」っていうシーンを放送したら、視聴者がみんなホンキにして大騒ぎになっていう、有名な事件があったでしょ。あれは1938年ですからね。世界中が不安に浮き足立っていたわけで。そうでなければ、誰も、「火星人襲来!」なんてことを本気になんかしませんよ。
 われわれのニュースも同じですわ。先進国の連中は、最近の中国の急成長に不安を抱いて浮き足だっています。こんなに急に追いかけてくるなんで、何かあるにちがいない。格差だ、人権だ、公害だ・・・そして、偽造ですわ。あそこでは起こりそうだ・・・そう思ってれば、何でも<起こり>ますよ。「火星人襲来」なんて荒唐無稽なことでも<起こった>んですから。
 「段ボール肉まん」なんていかにもありそうだ。「ニュースの捏造」なんていかにもやりそうだ。不都合なニュースを当局が偽造ニュースにしてしまうなんてこともいかにもありそうだ。・・・ほら、並べてみれば分かるでしょ。偽造は「肉まん」の中身かニュースか当局の摘発か。どう転んでも同じなんです。人々が、事件の起こる前から求めているのは、とにかく、「捏造大国」というイメージなんですから。そこでわれわれは、世界中の人々が求める「ニュース」を提供したんであってね。その意味で<真実>なんです。
 でも、やっぱり悔しいじゃないですか。そんなニュースを求められるっていうのは。じゃあ、ホントだったにしてもウソだったにしても、なぜあんなニュースを報道したのかっていうんですか? つらいことですが、今は、われわれのような報道が、むしろ必要なんです。とにかく、今度のことで、当局でも民間でもようやく、捏造大国のイメージ解消に大慌てに動くでしょう。新聞が社説を100本書くよりも、テレビがテロップを100本流すよりも、市民が署名を100万人分集めるよりも、われわれの僅か5分の「ニュース」の方が、何かを動かした筈です。つまり、われわれのニュースは、大きな社会的使命を果たしたわけですよ。その意味でも、ジャーナリストの本懐ですね。」