異質性と多様性(1)人類は虫の夢を見るか?

 こんなサイトでも訪れてくれる方が多少はおられるので、更新があくと申し訳ない気になる。どうでもよい白洲次郎ネタで少し遊ばせてもらったが、次にどうしようかと思っているうち、「異質性と多様性」という題だけ思いついた。
 「アームチェア・ディテクティヴ」ということばがある。安楽椅子探偵。もっとも「ディテクティヴ」ということばには、「刑事」と「探偵」の区別はないのだが、どっちにしても、刑事といえば「現場百遍」であり探偵といえば「よろず調査」であって、現場も踏まず調査もせずでは仕事にならない。小説で、敢えて「アームチェア」の主役を設定する場合には、たいてい、有能な調査助手がいたり、警察情報が使えたりするようになっている。
 ということで、私のようなただぐうたらなだけのアームチェアでは、何の解決にも寄与できない、単なる与太話しか書けないことを、読者の方々にも、以下勝手に引用や言及させて頂く方々にも、前もってお詫びしておきたい。
 さて、題だけ思いついたと書いたのだが、さしあたり、「吸血鬼はフランツ・ファノンの夢を見るか?」(→ここ)という論文からはじめさせて頂くことにする。最近知った『コーラ』という「Web評論誌」の07号に載っている。といっても、この論文そのものに対しては、何の異論もない。なかなか面白く読ませて頂いた。以下は、その一部だけを、恣意的に文脈から切り離してネタに使わせて頂くだけであることを、最初にお詫びと共にお断りしておきたい。
 最初の部分で、藤子F不二雄の「絶滅の島」という短編マンガが紹介されている。私は読んだことがあるかもしれないが、例によって忘れている(^_^;)。未来のある時、地球が巨大な宇宙怪物たちに突如攻撃され、最後の人類が、ある島で絶滅の危機に瀕しているのだが、皮肉なことにその島は、昔、ここだけに生き残っていた貴重種の虫が、人間の手で絶滅させられた島だった。人間が虫を絶滅させ、宇宙怪物が人類を絶滅させる。「そのことを描くことによって、「虫けら」との関係においては、私たち「人間」こそが加害者である、ということを読者に想起させる、というのが、この「寓話的」マンガのテーマであるように見えます。」
 上でいったように論文の文脈とは別であるが、この話では2項対立が基本枠となっている。怪物対人類、あるいは人類対虫。もちろん短編ゆえの単純化もあるだろうが、それが理由ではおそらくない。2項は、共約不能な絶対他者として対立している。殺戮という関係のありようは、共約不能性の表れであろう。だが、そうだとすると、例えば、虫に対しては自分たちこそが加害者であると思い至ったとして、そのとき、人類は、虫に対して、殺戮以外の、どのような「関係性」をもちうるのであろうか。「寓話」の先が、少し気になる。
 ・・・などと書き始めて、うまく続くかどうか分からないのだが、ともかくUPしてみよう(^_^;)。