闇から幽霊

 「大津いじめ」事件が、大きく取り上げられています。こういう事件を何とかとめたいというわけで、学校や市教委の対応を批判しつつ再発防止の提言をしたり、いじめが多発する社会状況を分析したりするだけでなく、多くの有名人が、今もいじめられている子供たちに、エールを送っています。「私もいじめられていたんだよ、死なないで」、と。ただ、今は有名人なのですから、全員きれいに立ち直った人たちです。「一人だと思わないで。分かってくれる友達が必ずいるよ」「親に話せば、命がけで守ってくれるからね」「何でもいいから、夢をもっていれば負けないよ」・・・その通りではございましょうが。
 中にあって、流石西原理恵子は、「ウソをつけ」といってましたね。ウソをつけ、チクれ、学校行くな、家出しろ、何でもOK、とにかく死ぬな、と。
 多くの人たちが指摘しているように、いじめた方は、面白いことをしているとしか思っていないので、今度の大津でもそうですが、自殺をしても、「ハハ、あいつ死んじゃったよ」と、更に面白がられるだけです。だから、哀しいことに、死んでしまえば、ほんとうにおしまいです。
 これは全く別のインタビューですが、同じく漫画家の媒図かずおはいっています。「もっと生きたかったのに自殺などで亡くなった人たちの怨念を感じるべきです」、と。
 昔は、名指しの遺書を残して死なれたりすると、名前を書かれた者は、実に怖かったでしょう。怨みを残して死んだ魂は、必ず相手に祟りますからね。化けて出るのはもちろん、末代まで祟ります。
 でも今は、怪談もエンタメになってしまい、幽霊も出づらい世の中になってしまいました。怪談といえば園朝ですが、あの時代は照明も百匁蝋燭だけだったのでしょうから、それは怖かったのでしょうけれど。
 と思ったら、つい先日「朝日文庫」になった(発行日付は8月30日なので今夜はまだ幽霊本?(^o^))矢野精一『三遊亭園朝の明治』に依ると、あの『真景累ヶ淵』も、1859(安政6)年初演当時は別名だったものに、御一新後すぐ、信夫如軒という人の発案による「真景」つまり「神経」という開化語が冠せられたようで、
 園朝口述。「今日より怪談のお話を申し上げまするが、怪談ばなしと申すは近来大いに廃(すた)りまして、余り寄席で致す者もございません。と申すものは、幽霊と云ふものは無い、全く神経病だと云ふことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌ひなさることでございます。・・・その昔、幽霊といふものが有ると、私どもも信じてをりましたから・・・(暗い所で不気味な物を見ると)おお怖い・・・と驚きましたが、只今では幽霊はないものと諦めましたから、頓(とん)と怖いことはございません」。
 何と、もうとっくに園朝の時代から、幽霊は失業して「神経」にされてしまっていたのです。
 媒図氏は、死に追いやられた人々の「怨念を感じるべきです」というのですが、大津でも、はたまた水俣でも福島でも、もはや「怨」が枕元に化けて出ることは難しいようです。「科学の子」が鼻歌まじりにラララ十万馬力で空を飛んで、ユーキスイギンやホーシャノーを撒き散らし、「只今では幽霊はないもの」だと言い散らしますので、どんな卑劣な者どんな傲岸な輩でも、「無神経」に開き直れば、死者は単なる出来事、単なるデータとなりまして、「頓と怖いことはございません」。
 ということで、幽霊も出られない、ただ真っ暗闇の世の中でございます。
 ちなみに、こちらは1年前にUPされたものですが、涙が出ます。→「いじめから助けてくれた子のことを話したい」