責任とピストル

 インパール作戦の最高責任者牟田口部隊長が、戦後も責任をとるどころか部下に責任を押し付ける態度をとり続けたことについて触れましたが、そういえば最近、辻政信のことを思い出させることがありました。
 例のギリシャの件では、ギリシャの側に問題がないわけでは、もちろんないでしょう。金貸し親分に「返せないなら娘を売れ」と責められる哀れな親父にしても、往々にして、ギャンブルや酒でしくじったりしているわけです。それでも、大衆芝居なら、容赦なく取り立てる金貸しが悪役というのが決まり事です。で、そのギリシャ親娘に対する、(ドイツを筆頭とするヨーロッパ連合ヨーロッパ中央銀行国際通貨基金の)、いわゆる「トロイカ」金貸し一家の厳しい緊縮策の強要を、例のピケティが、「自分で引き金をひいて自殺しろと、ピストルを渡すようなものだ」といったとか。
 と聞いて、いわゆる「ノモンハン事件」の辻政信を思い出した人もいるのではないしょうか。
 ご承知のように、ノモンハン戦争(ノモンハン事件)は、1939年の夏に「満州」モンゴルの間の国境紛争から、背後の日ソの大規模な戦闘となったものですが、辻参謀らは、前線部隊をソ連戦車群の猛攻の前に、とにかく突っ込ませ、無数の屍を重ねる惨憺たる結果となります。しかし辻は、作戦失敗の責任をとるどころか、生き残った連隊長らに敗戦の責任を負わせ、ピストルを渡して自決を強要します(何人かは実際に自死)。一方無謀な作戦で多くの兵士を死なせた辻作戦参謀は、後、陸軍中央の参謀本部に入って、太平洋戦争を作戦指揮。フィリピンの「バターン死の行進」では、捕虜に対して全員虐殺の命令を下し、ガダルカナル島でも、後先を顧みず兵を突っ込ませて「飢島」の惨状を招くなど。辻の前に出れば、牟田口でも影が薄れるほどで、半藤一利氏は「絶対悪というのがあれば、彼がそうだ」というようなことをいっています。
 ところが、戦後、辻は、内外に潜伏して戦犯の追及を逃れ、やがて何と、国会議員に当選します。もちろん、人々が票を入れたからです。(もっとも、彼に投票した人々だけの問題ではありません。「天皇の軍隊」の最高司令官だった人物が、「戦争責任というような文学的なことは分からない」といい、「満州国」を動かし東条内閣の閣僚もつとめてA級戦犯に問われた人物が、首相になるのが「戦後」です)。
 ちなみに、ノモンハン戦争に先立って辻が立案した「満ソ国境紛争処理要綱」でも、「侵さず侵しめざることを満州防衛の根本とする」と、「専守防衛」の姿勢を掲げています。しかしその「防衛」は、「万一侵されたら機を失せず」、味方の兵が何人死のうと、とくかく徹底的に相手を叩き潰す、というものでした。
 街道と川に挟まれたわずかな原野を「守る」ために、兵士の命など虫けら程度と、戦車の前に突っ込ませる。同様に、例えば、極小の無人島でも「侵されたら機を失せず」自衛隊を突っ込ませようというのでしょうか。
 (ノモンハンについては、もう少しだけ書きたいことがあるのですが、明日にします。)