「後方支援」と「白骨街道」

 「後方支援」をするだけだ。後方支援は戦争参加ではない。
 こんなことばで騙そうとしています。また実際、かなりのみなさんが騙される(ている)のでしょう。
 1944年に、有名なインパール作戦というのがありました。補給なしに当時のビルマから東インドに侵攻しようとした無謀極まりない作戦で、最後は、敗退路で兵士たちが次々と斃れていき、ために「白骨街道」と呼ばれるという、余りにも悲惨な結果となりました。
 責任は個人だけにあるのではありませんが、多くの人が、特に師団長だった牟田口という男に、最大の責任があるとしています。けれども、無数の兵士を悲惨な死に追いやったこの男は、戦後も生き延び、最後まで責任を認めようとせず、部下の責任だといい続けました。軍隊における将兵、つまり「将」と「兵」の関係はそんなものです。
 ちなみに、この作戦に参加た美倉重夫氏は、戦後和歌山県日置川町長を務め、同町への原発誘致に反対する運動の中心となって誘致を中止させましたたが、その根本にはこの作戦での体験があったといわれています。
 なぜインパール作戦など思い出したかというと、この作戦の目的は、「援蒋ルートを断つ」ということだったからです。「蒋」はもちろん「蒋介石」ひいては抵抗する中国です。当時、帝国陸軍は、大陸深く侵攻しながら、どうしても点と線しか支配できず、国共の抗日の前に泥沼の中をもがていました。そこで、問題は「後方支援」にありと考え、抵抗する中国を背後で支える「後方支援」をたたきつぶそうとしたのが、インパール作戦なのでした。
 戦争する軍隊を後方支援することは戦争参加ではなく、だから攻撃もされない、などというバカなことはありません。帝国陸軍は、「後方支援」こそを猛攻撃したのです。