武士道について10:愛人秘書の道

 そういうわけで、『葉隠』を書いた(実際には聞書ですが)山本常朝という人は、太平の世に堕落した今風の武士ではなく、古武士然とした眼光鋭い剣の達人・・・ではなく、実際には虚弱児に生まれた文弱ヘナチョコだったようです。
 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」なんて最初にカッコよくぶちかまします・・・が、あとの方へ行くと、「我(も)人(なれば)、生くる事が好きなり」、「人間一生〜すいた事をして暮らすべきなり」と、甚だ腰折れです。
 武人の原点を忘れて官僚化、サラリーマン化した近頃の武士の姿に「喝」を喰らわす・・・のかと思ったら、嫌な上司の酒の誘いを断る方法、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法、妻が部下と不倫した時世間をごまかす方法、はては職場ボーイズラブ(男色)の方法、などなど、「サラリーマンはつらいよ処世術」「ビジネストラブル指南書」のような記述がほとんどで、「いってみれば近世の「サラリーマン心得」」、「『女大学』の男子版」(斎藤美奈子)とか、「武家奉公人の処世術」とかいわれる通りです。
 というわけで、『葉隠』をカッコいいサムライのバイブルとして崇めておきたい人は、決して中身を読んではいけません。
 では、このような矛盾を含む(ように見える)『葉隠』は、一体どう読めばいいのでしょうか。ここからは私の独断と偏見ですが、これは「愛人秘書の告白本」と読めば納得できると思います。
 この時代、藩というのは、会社と思えばよろしい。で、「鍋島コーポレーション」というのは、もともと「龍造寺co.」という会社だったのですが、有能な鍋島重役が親会社の引きもあって社長に就任し、化け猫まで出てくるお家騒動の末に、社名も「鍋島」に変えて新会社として再出発、まだ2代目社長の時代です。
 山本常朝という人は生来虚弱、まだナヨナヨした子供の頃に、鍋島藩2代目藩主光茂の「稚児小姓」として側に仕えます。小姓にもいろいろありますが、一昔前は、主君男色のお相手が重要な仕事でした。太平の世になってその必要性が薄れてゆき、小姓や側用人が秘書課のような役割を果たすようになってゆきますが、男色(衆道)は武士社会に残って、当時も普通であったことは、『葉隠』にある通りです。「稚児小姓」常朝がどうだったかは分かりませんが、まだ14歳の子供ですし、昼間のビジネスのお手伝いより夜の寛ぎのお相手として期待されて取り立てられたと考えるのが自然でしょう。ま、それはどちらでもいいのですが、三島由紀夫をはじめ、『葉隠』を、というより武士の君臣関係を、男色の恋の関係と読む人が少なくないことは、ご承知の通りです。
 さて、実際にどういう関係だったかはともかく、「稚児小姓」の経験が、幼い常朝の真っさらな心に、自分は主君の<最も近くに、最も側に>いるのだ、という強い意識を持たせたであろう、と想像できます。父70歳の時の子で父は既になく、その分寵愛が身に沁みたのかもしれません。
 昔のアメリカの漫画では、秘書はたいてい、社長室で社長の膝の上に乗っています。平社員は、社長室なんかに滅多なことでは入れません。役員や部長でも、秘書を通してアポイントメントを取らないと入って来られない。そこに自分はいるのです。社長の最も近くで、日々お仕えしている自分。(眠いので、ここで。続く)